「東興の戦い」の版間の差分

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呉はこの戦いで多大な牛馬や軍事物資を手に入れた。諸葛恪はこの功績により陽都侯・揚州牧・荊州牧に任ぜられ、国内の軍事全般の指揮を任されることになり、丞相にも昇進した。だが、この戦いの勝利に気をよくした諸葛恪は、翌年に周りの諫めを無視して、大軍を率いて魏に侵攻するも攻め落とす事は出来ず、疫病が大流行し非常に多くの兵を失う。これにより諸葛恪は人望を失ってしまい、孫峻らのクーデターにより殺されてしまうことになる。
 
国内では、この敗戦の罪を諸将に問うべきという意見がこの時朝廷あったが、司馬師は「諫言を聞かずここに至った。これは私の過失である。諸将に何の罪があろうか」とその罪を自ら引き受けようとしたため、かえって人々は皆恥じてその度量に服したという。
 
== 関連項目 ==