「将棋」の版間の差分

将棋がいつ頃日本に伝わったのかは、明らかになっていない。[[囲碁]]の碁盤が[[正倉院]]の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が[[奈良時代]]前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。伝説としては、将棋は[[北周|周]]の[[武帝 (北周)|武帝]]が作った<ref>[[増川宏一]]『ものと人間の文化史 将棋』(法政大学出版局、ISBN 4-588-20231-6)では、明治時代初めに書かれた『将棋絹篩』([http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?tpl_wid=WBPD120&tpl_wish_page_no=1&tpl_select_row_no=2&tpl_hit_num=2&tpl_toc_word=+%BE%AD%B4%FD%B8%A8%E4%C1&tpl_jp_num=40076492&tpl_vol_num=&JP_NUM=40076492&VOL_NUM=00001&KOMA=&tpl_search_kind=2&tpl_keyword=%BE%AD%B4%FD%B8%A8%E4%C1&tpl_sort_key=TITLE&tpl_sort_order=ASC&tpl_list_num=20&tpl_end_of_data=])の序文などに見られるが、宋代の『太平御覧』にあるものをそのまま引き写したのだろうとしている(88ページ)。が、増川説に対しては、[[木村義徳]]「将棋の日本到着時期をめぐって:増川宏一説に対する批判」(『[[桃山学院大学総合研究所紀要]]』30-2){{PDFlink|[http://www.andrew.ac.jp/soken/sokenk152-1.pdf]}}で、武帝説の起源は初唐の数種の史料に遡る点等を指摘し、批判している。</ref>、[[吉備真備]]が[[唐]]に渡来したときに将棋を伝えた<ref>増川の同書(88 - 89ページ)に、1690年の『人倫訓蒙図彙』、1746年の『本朝俗諺誌』、1755年の『象棋百番奇巧図式序』などに記述があると指摘している。</ref>などといわれているが、後者に関しては、江戸時代初めに将棋の権威付けのために創作された説であると考えられている。
 
日本への伝来時期はいくつかの説があるが、早いもので6世紀ごろと考えられている<ref>棋士の[[木村義徳]]で、著書『持駒使用の謎』(日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0067-7)に詳しい。</ref>。最初伝来した将棋は、現在のような平型の駒形ではないという説もある。古代インドから直接日本へ伝来したとする説では、古代インドのチャトランガの流れを汲む立像型の駒であったとされている。東南アジアのマークルックにちかいものが伝播改良されて生み出されたと考えられている。一方、6世紀ごろインドから直接ではなく、中国を経由して伝来したという説では、駒の形状は中国の[[シャンチー]]([[中国]][[象棋]])と同様な平型の駒として伝来したという説もある。チェスでは古い駒ほど写実的であるとされる。アラビア等古い地域において平面の駒がみられる。また今までに立体の日本将棋駒は発見されていない。他説としては、[[平安時代]]に入ってからの伝来であったとする説がある。インド→アラビアの将棋からを経て中国の[[シャンチー]]そして朝鮮の[[チャンギ]](朝鮮のものは中国由来)が日本に伝わったというものである。しかし[[平安時代]]には既に日本に将棋があったという説が有力である。また、駒の形の違い(アラビア、中国などは丸型、チャトランガは市立体像、日本は五角で方向が決まっている)やこれらの駒を線の交点に置くことなど将棋とどれも大きくことなる。これに対し、東南アジアのマークルックは銀と同じ動きの駒があるが、歩にあたるビアの動きがあまりに将棋とは違うことが指摘されている。また、将棋は相手側三列で駒が変化するがマークルックではクン、ルア、コーン、マー、メットとも「成る」ことはない。この点も大きく将棋とは異なる。近年はこの系統の盤戯が中国経由または直接ルートで日本に伝来したとする説がある<ref>将棋棋士の[[大内延介]]は、著書『将棋の来た道』(めこん(文庫本は小学館)、ISBN 978-4-8396-0032-7)でマークルックを指した経験から、将棋との類似を指摘し、将棋の源流ではないかと主張している。</ref>。また、中国を舞台とした日本と東南アジアの[[中継貿易]]は行われていたことから中国経由の伝来は十分に考えられるが、中国での現代の[[シャンチー]]の成立時期は平安時代より遅くまた現代の[[シャンチー]]はルールも異なる。このため現代中国[[シャンチー]]が伝播したものではないと考えられている<ref>前述の増川宏一らが、東南アジア伝来説を主張している。</ref>。いずれにしても日本での、古代の日本将棋に関する文献は皆無で、各説は想像の域を出ない。</ref>。物証としては棋博がある(唐時代の物と推定)。二人制でさいころ二個付きの賭博具である。棋博と中国象棋を基として将棋が作られた。最初は取り捨てでしたが、その後将棋は二つの方向に変化しました。一方は取り捨てのまま駒の数を増やす方向へ、一方は駒の再使用を認めることでその選択肢を広げ、さらに飛車角行を加えて現代将棋と続いています
 物証としては棋博がある(唐時代の物と推定)。二人制でさいころ二個付きの賭博具である。棋博と中国象棋を基として将棋が作られた。最初は取り捨てでしたが、その後将棋は二つの方向に変化しました。一方は取り捨てのまま駒の数を増やす方向へ、一方は駒の再使用を認めることでその選択肢を広げ、さらに飛車角行を加えて現代将棋と続いています。
 
==== 平安将棋 ====
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