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=== 勧進の普及 ===
こうした勧進があまねく庶民に受容され、広く社会に浸透していくのは、およそ[[12世紀]]以降のことである。鐘については、[[保延]]7年([[1141年]])に[[大和国]]([[奈良県]])の[[金峯山寺]]の鐘が勧進僧[[道寂]]の勧進によって作られており、国家管理の橋であった[[山城国]]([[京都府]])の[[宇治橋 (宇治市)|宇治橋]]や[[近江国]]([[滋賀県]])[[瀬田の唐橋|勢多橋]]も、12世紀に入ると勧進によって管理・維持がなされるようになっている。また、近江関寺の再興は[[治承]]3年([[1179年]])の南無阿聖人<ref>[[法然]]([[浄土宗]]開祖)ではないかと推定されている。</ref>の勧進によるものである。
=== 東大寺大勧進職 ===
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* 永村真 『中世東大寺の組織と経営』 (塙書房、1989年 ISBN 482731036X)
* 平岡定海 『東大寺辞典』 (東京堂出版、1995年 ISBN 4490103999)
* 松尾剛次『鎌倉新仏教の誕生―勧進・穢れ・破戒の中世』(講談社
== 外部リンク ==
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