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慶応3年([[1867年]])、[[トーマス・ブレーク・グラバー]]の協力の下[[イギリス]]に渡り、[[明治]]4年([[1871年]])まで滞在する。帰国後は工部少輔、ついで侍従長に就任するも、明治6年([[1873年]])には[[イタリア]]、[[オーストリア]]に赴任。在任中に[[ヴィンチェンツォ・ラグーザ]]を[[工部美術学校]]彫刻科の講師として日本へ招く事に成功している。明治16年([[1883年]])、司法大輔。明治17年([[1884年]])より明治26年([[1893年]])まで再び公使としてイギリス在住。明治27年([[1894年]])に[[枢密顧問官]]となり、死去まで務めた。
 
== 栄典 ==
* [[1915年]](大正4年)[[11月10日]] - [[記念章|大礼記念章]]<ref>『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。</ref>
 
{{在イギリス日本大使|1867年-1871年|全権公使}}