「パンク・ファッション」の版間の差分

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前述の[[カリスマ]]、セックス・ピストルズの典型的なスタイル。寝癖のような髪の毛、引き裂いたシャツやジーンズなどに身を包み、[[鎖|チェーン]]、[[安全ピン]]などをアクセサリーにし、しばしば反逆的で過激なイメージを強調する。女性の場合は、[[コルセット]]や[[ボンデージ]]などを取り入れたアイテムや、[[ミニスカート]]など。髪型は髪色を派手に染める他、[[ベリーショート]]なども多い。他に、鋲打ちの黒革のジャンパーや細いパンツ、リストバンドやシルバーアクセサリーなどの意匠も加わっている事がある。しかし、[[パンク・ロック|パンクロッカー]]の多くがこのようなファッションをしているわけではなく、またパンクファッションをしている者がパンクロッカーとは限らない。
 
また、リバイバル以降のパンク・ファッションでは[[髑髏]](スカル)がモチーフとして使用される事がよくある。髑髏は古くから「メメント・モリ(死を想え)」など「[[死]]」のシンボルとして知られている。だが、パンク・ファッションでは「死」よりも、髑髏は「[[反戦]]」のシンボルとしての使われ方をされる場合が多い。そして、どちらかといえば哲学的に取り扱われる事よりも諧謔的なブラック・ジョークとしての、冷笑的な使われ方をされがちである。
 
70年代にヴィヴィアン・ウエストウッドのブランド「セディショナリーズ」が[[ナチス]]のシンボルである[[ハーケンクロイツ]]を取り入れたシャツ、Tシャツを売り始めたのをきっかけに、欧米のパンクスの間でハーケンクロイツをファッションに取り入れる者が大勢現れた。しかし[[ファシズム]]や[[ナチズム]]の称賛が禁止されている欧米ではのちにこの事が問題になり、一般人の中にはパンクファッションの若者と[[ネオナチ]]とを同一視する者が現れ、中にはその偏見を持ったままパンクファッションを始めたネオナチの若者も大勢現れた。しかし[[1981年]]にアメリカのパンクバンド[[デッド・ケネディーズ]]が「Nazi Punks Fuck Off!」という曲をリリースしたのをきっかけに、多くのパンクス達の間でナチのシンボルを取り入れるのはパンク的ではないと思うようになり、ハーケンクロイツをファッションに取り入れるのをやめ始めた。(しかしこの曲は反ナチ・反ファシズムを謳っているわけではなく当時の体育会系ハードコア・パンクスをナチや軍隊のようだと揶揄した曲である。しかし軍国主義を風刺するといった点は同一である)さらにそのムーブメントを作ったセディショナリーズもハーケンクロイツを取り入れたファッションを販売するのをやめたので、現在欧米ではハーケンクロイツを取り入れたパンクファッションは販売されていない(しかしファシズムやナチズムの称賛が禁止されていない日本では、未だにハーケンクロイツがついているセディショナリーズのTシャツが売られている)。
 
== 日本のパンク・ファッション ==
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* 日本の芸能界では、[[沢田研二]]がデザイナー[[早川タケジ]]とのコラボレーションにより、いち早くパンクファッションを衣装に取り入れた(1977年には、紅白歌合戦で手錠に剃刀のピアス、1978年は「サムライ」にてハーケンクロイツの腕章を付けた革ジャンを着用)。
 
== 厳密に区別されないファッション ==
== ゴシック・アンド・ロリータとの関係 ==
同じサブカルチャーとして扱われることが多く、上述の『[[NANA]]』や、[[KERA|サブカル系の雑誌]]などで一緒に取り扱われることの多かった[[ゴシック・アンド・ロリータ]](ゴスロリ)・ファッションとの関連性が近年強くなっている。そのため、本来全くの別物であるはずのゴスロリとの亜流的なカテゴリーが生まれており、近年の日本ではパンク・ファッションやゴスロリよりも人層は多と思われる。しかし、一般的な知名度は低く「パンク・ファッション」や「ゴスロリ・ファッション」と一括りにされてしまうのが現状である。それらは「'''ゴスパン'''」「'''ロリパン'''」などと呼ばれ、それらのデザインは「パンク・ファッション」の方が類似点が多い。
 
== 関連項目 ==
*[[ゴシック・アンド・ロリータ]]
*[[NANA]]
*[[香奈]]
*[[パンク (サブカルチャー)]]