「都々古別神社」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
КОЛЯ (会話 | 投稿記録)
重要文化財指定
11行目:
== 歴史 ==
[[近代社格制度]]のもと、明治6年([[1873年]])に馬場の都都古別神社が名神大社の[[論社]]とされ国幣中社に列格したが、八槻の都都古別神社は郷社とされた。しかし八槻側の申し出により、結局どちらも同格とすることになり、八槻の都都古別神社は明治18年([[1885年]])に国幣中社に昇格した。第二次大戦後は[[神社本庁]]の[[別表神社]]となっている。
 
 
{{Commons|Category:Tsutsukowake-jinja}}
31 ⟶ 30行目:
 
その後、[[大同 (日本)|大同]]2年([[807年]])[[坂上田村麻呂]]が現在の[[棚倉城]]址に社殿を造営、日本武尊を相殿に配祀した。さらに[[寛永]]2年([[1625年]])、[[丹羽長重]]が棚倉城建築のため現在地に遷座させた。
 
=== 文化財 ===
*本殿 - 国の重要文化財
 
=== 主な年中行事 ===
80 ⟶ 82行目:
{{DEFAULTSORT:つつこわけしんしや}}
[[Category:福島県の神社]]
[[Category:福島県の重要文化財]]
[[Category:名神大社]]
[[Category:陸奥国の式内社|名つつこわけしんしや]]