「徳川治済」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
12行目:
| 戒名 = 最樹院性體寶徹大居士
| 墓所 = [[東京都]][[台東区]]上野の[[東叡山寛永寺]]
| 官位 = [[民部省|民部卿]]、[[従三位]][[近衛府|左近衛権中将]]、[[参議]]<br />[[中納言|権中納言]]、[[従二位]][[大納言|権大納言]]、[[従一位]]、[[准大臣]]<br />贈[[内大臣]]、贈[[太政大臣]]
| 幕府 = [[江戸幕府]]
| 主君 =
19行目:
| 父母 = 父:[[徳川宗尹]]、母:おゆかの方(細田氏)
| 兄弟 = [[松平重昌]]、[[松平重富]]、'''治済'''、[[黒田治之]]
| 妻 = 正室:[[京極宮公仁親王]]の娘・在子<br />側室:[[お富の方]]
| 子 = [[徳川家斉|家斉]]、[[徳川治国|治国]]、[[黒田斉隆]]、[[徳川雄之助|雄之助]]、[[徳川斉匡|斉匡]]、<br />'''[[徳川斉敦|斉敦]]'''、[[松平義居]]、[[徳川久之助|久之助]]、[[徳川本之丞|本之丞]]、紀姫([[細川斉樹]]正室)}}
 
'''徳川 治済'''(とくがわ はるさだ / はるなり)は、[[江戸時代]]の[[御三卿]]の一つ[[一橋徳川家]]の第2代当主。8代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川吉宗]]の孫で、11代将軍・[[徳川家斉]]の実父に当たる。
 
一橋徳川家初代当主・[[徳川宗尹|宗尹]]の四男として生まれたが、兄の[[松平重昌]]と[[松平重富]]が[[越前国|越前]][[福井藩]]を継いだため、[[1758年宝暦]]8年([[宝暦1758年]]8年)に嫡子(一橋家の継嗣・次代当主)となる。宝暦12年([[1762年]](宝暦12年)に[[元服]]、従兄弟で10代将軍の[[徳川家治]]より[[偏諱]]を受け'''治済'''と名乗る。[[明和]]元年([[1764年]])、父・宗尹の死により一橋家を継承する。弟の[[黒田治之|治之]]は福岡藩主[[黒田継高]]の婿継嗣となった。
 
[[田沼意次]]が幕政を指揮する中、一橋家には意次の弟[[田沼意誠|意誠]]や甥[[田沼意致|意致]]が家老となり、一橋家家臣とも縁戚関係を築いていた。しかし治斉は[[松平定信]]ら反田沼派の黒幕として運動し、[[天明]]6年([[1786年]])、将軍・徳川家治が亡くなり長男の豊千代改め家斉が11代目の将軍職に就任すると、意次の罷免、田沼派の一掃を行わせた。
 
天明8年([[1788年]])に家斉は治済を[[大御所 (江戸時代)|大御所]]待遇にしようと幕閣に持ちかけるが、当時朝廷で[[光格天皇]]が実父・[[閑院宮典仁親王]]に[[太上天皇]]の[[尊号]]を贈ろうとして[[老中]]の定信と対立する[[尊号一件]]が起こる。その結果、治済の「大御所」待遇もできなくなり、治済・家斉父子の怒りを買った定信は失脚することとなった。
 
[[文政]]元年([[1818年]])に剃髪して「穆翁」と号し、[[薩摩藩]]主[[島津重豪]](栄翁)、家斉の側室[[専行院]]の養父[[中野清茂]](碩翁)と共に「三翁」と呼ばれた。
 
のち[[従一位]][[准大臣]]まで昇進し、将軍実父として権勢を誇り、亡くなるまで幕政に隠然たる影響力を持った。
 
[[文政]]10年(1827年)、77歳で死去し、跡を六男・[[徳川斉敦|斉敦]]が継いだ。
 
== 経歴 ==
42 ⟶ 44行目:
*[[1791年]]([[寛政]]3年)3月5日、権中納言に転任。
*[[1799年]](寛政11年)1月27日、従二位に昇叙し、権大納言に転任。隠居する。
*[[1818年]]([[文政]]元年)6月5日、剃髪。 穆翁を号する。12月に裘衣着用を勅許される。
*[[1820年]](文政3年)4月21日、従一位に昇叙。
*[[1825年]](文政8年)8月18日、准大臣宣下<ref>徳川治済 准大臣の辞令(宣旨)(「[[甲子夜話]]続篇」)<br />正二位行權大納言源朝臣重能宣<br />奉 勅入道從一位源朝臣<br />春秋已高又征夷大將軍源朝臣<br />實有天性之親宜准大臣者<br />文政八年七月十八日 大外記兼掃部頭造酒正助敎中原朝臣師德奉<br />(訓読文)正二位権大納言源朝臣重能([[庭田重能]]、院別当兼帯)宣(の)る、勅(みことのり [[仁孝天皇]])を奉(うけたまは)るに、入道従一位源朝臣(徳川治済)春秋(年齢)已(すで)に高し、又征夷大将軍源朝臣(徳川家斉、従一位左大臣左近衛大将)の実(まこと) 天性の親に有り、宜しく大臣に准(なぞら)ふべし者(てへり)、文政8年(1825年)7月18日 大外記兼掃部頭造酒正助教中原朝臣師徳([[押小路師徳]]、正五位上)奉(うけたまは)る</ref>。