「ガイ・エドワーズ」の版間の差分

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スポーツカーやF5000を経て、[[1974年のF1世界選手権|1974年]]開幕戦アルゼンチンGPでヒルからデビュー。第7戦スウェーデンGPでは粘りの走りを見せ7位に入るもポイント獲得には至らず。その後レース中の事故で負傷しチームを離脱。ケガの影響で翌年も出走できずに終わる。
 
[[1976年のF1世界選手権|1976年]]、エドワーズは[[ペントハウス (雑誌)|ペントハウス]]や[[リズラ]]のスポンサーを取り付けてヘスケスからF1に復帰するが、悪いことにチームはオーナー[[アレキサンダー・ヘスケス]]の資金が尽きてマシンの戦闘力が低下しはじめたところで、最高位は第10戦ドイツGPでの15位に留まる。しかしこの年のエドワーズを語るのに外せないのは、最高位を記録したそのドイツGPでの[[ニキ・ラウダ]]の事故のことだろう。
 
[[ニュルブルクリンク]]北コースの「ベルクベルク」でのラウダのクラッシュに遭遇したエドワーズは、クラッシュ直後のラウダのマシンに衝突してしまった[[ブレット・ランガー]]や後続を走っていた[[ハラルド・アートル]]、[[アルトゥーロ・メルツァリオ]]と共にラウダの救出作業にあたった。このときエドワーズは駆け付けた救急隊にラウダの状態を逐一報告するなど冷静な対応を見せ、このことが称賛され、のちにエリザベス女王から勲章を与えられている。