「小沢グループ」の版間の差分

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政策的にはかつては右派的、新自由主義的なものが多かったが小沢の政策の変化に加え新人議員の取り込みの過程で様々な立ち位置の議員が所属したことからそういった傾向は薄れていった。{{独自研究範囲|小沢同様、政策よりも選挙や政局を重視する傾向があり|date=2014年12月}}、政策重視を掲げる[[凌雲会|前原グループ]]や[[花斉会|野田グループ]]とは対立することが多かった。
 
ここに挙げたグループのメンバー以外にも小沢の影響下にある議員は多数存在し、特に第21回参議院議員通常選挙と第45回衆議院議員総選挙で初当選した議員の多くは俗に[[小沢チルドレン]]とマスメディアで呼ばれた。
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[[鳩山由紀夫内閣|鳩山政権]]下では、前原グループや野田グループ出身の[[松本剛明]]や[[細野豪志]]、[[原口一博]]、[[新政局懇談会|横路グループ]]の[[高嶋良充]]などの登用も目立った。特に細野や高嶋は幹事長室への陳情の集約を任されるなど信任が厚かった。
 
[[2011年]](平成23年)12月21日、小沢を支持する三つのグループが勉強会「[[新しい政策研究会]]」を発足させた<ref>{{cite news |language = | author = | url =http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111222-OYT1T00238.htm| title =小沢G統合勉強会、106人で消費増税けん制| publisher =| date= 2011-12-22| accessdate =2011-12-22}}</ref>。2011年12月、小沢を支持する[[内山晃]]ら9人の民主党所属の議員が「[[新党きづな]]」を結成して集団離党する。さらに[[2012年]](平成24年)7月、当の小沢が計48人の議員を率いて民主党を集団離党して新党「[[国民の生活が第一]]」を結成した。新党結成後も一部の議員は民主党内に残ったが、この時点で民主党内の小沢系グループは事実上消滅したとされる。

その後、2012年11月、国民の生活が第一は実質的な先発隊となった新党きづなを吸収合併したうえで解党し、嘉田由紀子が結成した[[日本未る選挙の党]]備える合流。小沢系の新党は2012年12月16日投開票の[[第46回衆議院議員総選挙]]で野党として民主党と争うこととなった。しかし、この選挙で未来の党は保持していた61議席から9議席まで議席を減らす惨敗を喫した。選挙後、嘉田派・小沢派の主導権争いが激化し、日本未来の党は分党、小沢は[[生活の党]]を立ち上げた。しかし、2013年7月の[[第23回参議院議員通常選挙]]でも小沢の生活の党は議席を大きく減らし、2014年12月14日投開票の[[第47回衆議院議員総選挙]]を前に[[鈴木克昌]]・[[小宮山泰子]]といった生活の党の一部議員・党員は民主党に復党[[太田和美]]・[[木内孝胤]]といった生活の党の一部党員は[[維新の党]]に入党するなど小沢の影響求心に陰りが見の衰始めが指摘されている。
 
2011年(平成23年)に発足した[[21世紀国家ビジョン研究会]](小沢鋭仁グループ)と区別する為、小沢一郎グループとも呼ばれる。
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[[2004年]](平成16年)9月と[[2006年]](平成18年)9月に、[[箱根町|箱根]]で、地方議員や各地の後援者を含めた全国研修会を開いた。
 
第44回衆議院議員総選挙後一新会は党内最大派閥となり、小沢が幹事長に就任した。副幹事長を側近議員で固め、[[鳩山由紀夫内閣|鳩山政権]]の政策決定においても影響力を利かせるようになった。
 
しかし、小沢の献金問題などの不祥事で内閣支持率が激減して内閣は総辞職し、小沢も幹事長の離任を余儀なくされる。その後の代表選では小沢が事実上支援した[[樽床伸二]]が敗北し、代表選後の役員人事改造では国会対策委員長に樽床が起用された他は軒並み小沢と距離を置く議員で固められ、一新会は反主流派に転落した。
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=== 北辰会 ===
[[2010年]](平成22年)[[11月25日]]に小沢を支持する当選1回の衆議院議員を中心に結成された。既に存在していた一新会倶楽部を改編した組織で、一新会と同じく毎週木曜日に定例会を開いた
 
==== 所属国会議員一覧 ====
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=== 新しい政策研究会 ===
{{Main|新しい政策研究会}}
一新会、北辰会、木曜会の3派合同の勉強会として発足。複数の政党の議員が参加する超党派の形となった。2012年12月の[[第46回衆議院議員総選挙]]と2013年7月の[[第23回参議院議員通常選挙]]でほとんどの所属議員が落選し、以降目立った活動は見られない
 
[[2011年]](平成23年)[[12月21日]]の初会合には以下の106名が出席した<ref>{{cite news|title=小沢系勉強会の出席者|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201112/2011122100984|agency=時事通信社|newspaper=時事ドットコム|date=2011-12-21|accessdate=2012-01-31}}</ref>。