「張休」の版間の差分
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一方で、新たに太子となった[[孫和]]の妃が姪であったため、張休は孫和と[[孫覇]](魯王)の対立([[二宮事件|二宮の変]])に巻き込まれるようになっていった(「孫和伝」)。
[[241年]]、[[芍陂の
また、[[孫弘]]は元々張休と不仲であったため、流罪の身の張休をさらに讒訴した。このことで張休は孫権から死を命じられ、まもなく自害した。41歳だったという。
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