「石巻ハリストス正教会」の版間の差分

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[[1881年]](明治14年)6月には、[[ニコライ・カサートキン|亜使徒聖ニコライ]]が[[東北地方|東北]]巡回の途中に石巻ハリストス正教会を訪れている。当時の石巻には名簿上116名、実勢としては82名の信徒がいたとされる<ref> ニコライ著/[[中村健之介]] ・[[中村喜和]] ・安井亮平 ・[[長縄光男]]編訳『宣教師ニコライの日記抄』北海道大学出版会 ISBN 4-8329-3291-8</ref>。
 
しかし[[1904年]](明治37年)の[[日露戦争]]や[[1917年]]([[大正]]6年)の[[ロシア革命]]後、日本正教会が全国で教勢を低迷させていったことに伴い、この地域での教勢も停滞する。対露感情の悪化や、実際には革命によって[[共産主義]]政権から[[ロシア正教会]]をはじめとした正教会は弾圧を蒙っていたにもかかわらず正教会が「[[共産主義|アカ]](共産主義)の仲間」との偏見をもたれたことや、革命によりロシア正教会から資金援助が途絶え、伝教者の多くを解雇せざるを得なかったことなどが主な要因であった。
 
石巻市周辺地域に設立された教会組織は順次、聖使徒イオアン教会に統合され、今に至っている。[[2008年]](平成20年)現在の管轄司祭はワシリイ田口三千男である。