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== 歴史 ==
=== ウェネティイ族 ===
ヴェネト州の歴史は他の北部イタリアの州と共通している。古代にはインド・ヨーロッパ語族に属する言語を話す{{仮リンク|ウェネティイ族|vec|Paleovèneti|it|Veneti|en|Adriatic Veneti}}が居住し、ヴェネトの名はこの民族に由来する。
=== ローマ帝国 ===
この地方に位置する都市ヴェネツィアは都市国家[[ヴェネツィア共和国]]として、アドリア海の海上交通を掌握し、ラグーナによって陸からの進攻から比較的安全だったこともあり、中世を通じて独立を保ち、イスラム圏とヨーロッパの中継貿易により、海上国家として繁栄した。最盛期にはパドヴァや[[ベルガモ]]などの内陸の都市を勢力下におくだけでなく、[[キプロス島]]、[[クレタ島]]なども領有して栄えた。しかし[[ナポレオン・ボナパルト]]に攻略されてヴェネツィアは滅び、後に条約により[[ベルギー]]の領有権と交換に[[オーストリア]]領[[ロンバルド=ヴェネト王国]]となった。▼
[[ローマ帝国]]の支配後、[[395年]]に東西にローマ帝国が分かれた後は、一時期ラヴェンナなどと同様、[[東ローマ帝国]]の勢力下にあった。[[ゴート族]]([[東ゴート王国]])や[[ランゴバルド人|ランゴバルト族]]([[ランゴバルド王国]])が流入した。
=== ヴェネツィア共和国 ===
{{Main|未回収のイタリア}}▼
▲この地方に位置する都市ヴェネツィアは都市国家[[ヴェネツィア共和国]]として、アドリア海の海上交通を掌握し、ラグーナによって陸からの進攻から比較的安全だったこともあり、中世を通じて独立を保ち、イスラム圏とヨーロッパの中継貿易により、海上国家として繁栄した。最盛期にはパドヴァや[[ベルガモ]]などの内陸の都市を勢力下におくだけでなく、[[キプロス島]]、[[クレタ島]]なども領有して栄え
[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争|デンマーク戦争]]後のプロイセンとオーストリア間での領有権を巡って始まった[[普墺戦争]]へ、[[1866年]]に[[イタリア王国]]が干渉して宣戦布告した{{仮リンク|第3次イタリア独立戦争|it|Terza guerra di indipendenza italiana|fr|Troisième guerre d'Indépendance italienne|en|Third Italian War of Independence}}([[イタリア戦争|イタリア独立戦争]])の初期に[[オーストリア=ハンガリー帝国]]から分離されて、[[イタリア王国]]に統合された。▼
[[1797年]]に[[ナポレオン・ボナパルト]]に攻略されてヴェネツィア共和国は滅んだ。
=== ロンバルド=ヴェネト王国 ===
[[ナポレオン戦争]]が終わり、[[1815年]][[6月9日]]にウィーン議定書([[ウィーン会議]])が締結され、[[ベルギー]]の領有権と交換に[[オーストリア]]領[[ロンバルド=ヴェネト王国]]となった。
=== イタリア王国 ===
{{Main|[[イタリア統一運動|イタリア独立戦争]]|未回収のイタリア}}
▲[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争|デンマーク戦争]]後のプロイセンとオーストリア間での領有権を巡って始まった[[普墺戦争]]へ、[[1866年]]に[[イタリア王国]]が干渉して宣戦布告した{{仮リンク|第3次イタリア独立戦争|it|Terza guerra di indipendenza italiana|fr|Troisième guerre d'Indépendance italienne|en|Third Italian War of Independence}}
== 行政区画 ==
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