「天皇記」の版間の差分

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[[帝皇日継]]・[[帝紀]]とほぼ同様の内容で、[[天皇家]]の系譜を記したものだと考えられている。また、未完であった可能性が高い。
 
[[国記]]とともに編纂された。[[645年]]([[皇極]]4年)に起きた[[乙巳の変]]の際に、[[蘇我馬子]]の子である[[蘇我蝦夷]]の家が燃やされ、そのとき国記とともに焼かれた。国記のみが焼ける前に取り出されて残ったが、国記も現存していない。
 
2005年11月13日に、奈良県にて、[[日本書紀]]の記述通り、蘇我入鹿の邸宅跡が発見され、今後の発掘しだいでは『天皇記』・『国記』の一部が出土する可能性があるとされている。
 
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