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富田家改易により宇和島は幕府直轄領となり、幕府代官として藤堂良勝が入った<ref name="宇和島藩35"/>。富田家中では宇和島を退去する際に年貢未徴収のために困っていたが、蔵米3000俵を良勝が貸し与えて残らず退去させた<ref name="宇和島藩35"/>。信高は[[寛永]]10年([[1633年]])に小名浜(現在の[[福島県]][[いわき市]])において死去した<ref name="宇和島藩35"/>。信高の長男[[富田知幸|知幸]]が[[水戸藩]]士として、次男[[富田知儀|知儀]]が7000石の幕府[[旗本]]として存続した。
 
宇和島市内における富田家ゆかりのものとして[[佐伯町]]と[[佐伯橋]]があり、これは富田家家老の[[佐伯権之助]]の屋敷があったことからこの町名と橋の名がつけられ、また信高正室の肖像画が宇和島市[[大宮町 (宇和島市)|大宮町]](旧北町)の[[真宗大谷派]]最勝山[[立正寺]](瓦寺)に所蔵されている<ref name="宇和島藩36">宇神『シリーズ藩物語 宇和島藩』、P36</ref>。なお、この立正寺は南予最初の瓦葺きの寺院であったと伝わる<ref name="宇和島藩36"/>。
 
=== 伊達家の時代 ===