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パンフォーカスでは、観客が数多くの可能性と選択肢を手にすることができるため、映画における[[リアリズム]]技法の一つとみなされてきた。とりわけ、[[ロングテイク]]と共に使われる場合はそうであった。
 
その反面、パンフォーカスは観客がそのショットあるいは[[ミザンセーヌ|ミゼンセヌ]](画面上の構成)の数多くの異なった地点にまなざしを向けることを可能にする。
 
パンフォーカスは初期の[[サイレント映画]]で用いられていたが、フィルム・ストックの質が変化したため、この技法を利用するのが困難になっていた。
 
しかし、[[1930年代]]になってはじめて撮影監督の[[グレッグ・トーランド]]が、演劇的なルックを求めた[[ウィリアム・ワイラー]]監督の要望によってパンフォーカスの先駆的な仕事を成し遂げた。また、[[ソビエト連邦]](当時)の[[エイゼンシュテイン]]監督、[[エドゥアルド・ティッセ]]撮影による『メキシコ万歳』において[[1931年]]にパンフォーカスの技術が採用されており、これが世界で最初にパンフォーカスを技法として利用した映画作品と唱える説もある。しかし、屋外撮影でのみ利用されていることや、元々は[[ハリウッド]]資本で製作されたこの作品が日の目を見たのは[[1979年]]になってからであることなどから、パンフォーカスを用いた嚆矢の作品として論及されることは少ない。
 
そもそも、[[絞り]]をしぼって撮影すれば、明瞭に焦点が長くなるのは分かっていたが、そのためには、特に屋内の撮影ではより[[ISO感度|感度]]の高いフィルム、十分な照明が必要であったが、グレッグ・トーランドは『[[嵐が丘]]』(1939)([[1939年]])で初めてミッチェルBNCカメラを用い始める等、この技法の開発を始めていた。特に『[[市民ケーン]]』([[1941年]])でのパンフォーカスの教科書的な使用例は、今日でも引き合いに出されるほど映画史的には有名である。[[アルフレッド・ヒッチコック|ヒッチコック]]や[[黒澤明]]も、好んで用いた事で知られている。黒澤の独特なパンフォーカス撮影については[[黒澤明]]を参照。
 
== 関連項目 ==