「南紀派」の版間の差分

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== 概要 ==
徳川家定は病弱かつ暗愚で、若年にもかかわらず長命や嗣子誕生は絶望視されていた。自然後継者問題が勃発するが、家定の近親であることを重視して紀伊藩主[[徳川慶福]]を推したのが南紀派である。
 
[[井伊直弼]]を筆頭とし、[[会津藩]]主・[[松平容保]]、[[高松藩]]主・[[松平頼胤]]ら[[伺候席|溜間詰]]の大名や[[老中]][[松平忠固]]、紀州徳川家[[付家老]][[水野忠央]]、[[御側御用取次]][[平岡道弘]]・[[薬師寺元真]]、[[大奥]]などに支持された。国内政策では幕府独裁の継続、外交政策では[[開国]]路線の継続を指向した(ただし[[一橋派]]にも開国志向の大名は[[島津斉彬]]など多数いた)。一橋慶喜(後の15代将軍[[徳川慶喜]])を担ぎ上げた一橋派と対立した。