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|備考全幅 = * この間に[[桑ノ原信号場]]有り(当駅から4.5km先)。
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[[File:Inariyama Station 20120204.JPG|thumb|駅舎と跨線橋(2012年2月)]]
[[ファイル:Jr-east inariyama station.jpg|thumb|250px|旧駅舎]]
 
'''稲荷山駅'''(いなりやまえき)は、[[長野県]][[長野市]]篠ノ井塩崎にある、[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[篠ノ井線]]の[[鉄道駅|駅]]である。
 
== 歴史 ==
駅名は地名に由来するものの、駅の所在地は過去も現在も「稲荷山」という地名になったことはない。駅名の元となった稲荷山地区は駅より約2kmほど南に離れた場所にあり、[[稲荷山町]]から[[更埴市]]となり、現在は[[千曲市]]に属している。駅の所在地である「塩崎」地区は[[塩崎村 (長野県)|塩崎村]]から[[篠ノ井市]]に編入され、現在は[[長野市]]となっている。したがって駅と稲荷山地区の間には、常に[[行政区分]]の[[境界線]]が存在していたことになる。
 
千曲市稲荷山地区はかつて[[北国西街道|善光寺西街道]]最大の[[宿場]]として栄えた[[稲荷山宿]]で、駅が開業した[[明治時代]]には北信随一の商都として賑わっていた。稲荷山地区に残る伝承では「当時の鉄道一般に対する様々な偏見や風評に基づいた地元の反対運動によって、北側に隣接した塩崎村に駅名を当初予定の「稲荷山駅」のまま建設された」と伝えられているが、更埴市史第三巻「篠ノ井線の開業」には「宿場衰退の懸念や農民の反対(中略)により誘致に失敗した」と記されているだけで、所在地と駅名の相違に関しての記述は特にない。
 
稲荷山地区がその後も発展を遂げていれば周辺部とはいえ同一視できる距離であったが、鉄道から切り離された事が災いしてその後商業地としては衰退。駅周辺部も元々何もない場所に建設されたことから特段の発展も無く、現在も駅周辺と稲荷山地区との間には[[田畑]]が多く残されており、地区として明確に分断された関係にある。
 
=== 年表 ===
* [[1900年]]([[明治]]33年)[[11月1日]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]篠ノ井線 篠ノ井駅 - 西条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
* [[1971年]]([[昭和]]46年)[[12月10日]] - 貨物の取扱を廃止。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]により、東日本旅客鉄道の駅となる。
* [[2006年]]([[平成]]18年)[[10月1日]] - [[駅収入管理システム|POS端末]]導入。
* [[2013年]](平成25年)[[9月]] - 駅舎リニューアル工事完成。
 
== 駅構造 ==
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=== のりば ===
{| rules="rows" class="wikitable"
{| border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" frame="hsides" rules="rows"
!番線<!-- 事業者側による呼称 --->!!路線!!方向!!行先
|-
!1
|{{Color|#f15a22|■}}篠ノ井線(上り)
| style="text-align:center" | 上り
|[[松本駅|松本]]・[[塩尻駅|塩尻]]方面
|-
!2
|{{Color|#f15a22|■}}篠ノ井線(下り)
| style="text-align:center" | 下り
|[[篠ノ井駅|篠ノ井]]・[[長野駅|長野]]方面
|-
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* [[稲荷山宿]] - 駅名の元になった、かつての宿場町。
* [[長野自動車道]]
 
== 歴史 ==
[[File:Inariyama Station 20120204.JPG|thumb|駅舎と跨線橋(2012年2月)]]
駅名は地名に由来するものの、駅の所在地は過去も現在も「稲荷山」という地名になったことはない。駅名の元となった稲荷山地区は駅より約2kmほど南に離れた場所にあり、[[稲荷山町]]から[[更埴市]]となり、現在は[[千曲市]]に属している。駅の所在地である「塩崎」地区は[[塩崎村 (長野県)|塩崎村]]から[[篠ノ井市]]に編入され、現在は[[長野市]]となっている。したがって駅と稲荷山地区の間には、常に[[行政区分]]の[[境界線]]が存在していたことになる。
 
千曲市稲荷山地区はかつて[[北国西街道|善光寺西街道]]最大の[[宿場]]として栄えた[[稲荷山宿]]で、駅が開業した[[明治時代]]には北信随一の商都として賑わっていた。稲荷山地区に残る伝承では「当時の鉄道一般に対する様々な偏見や風評に基づいた地元の反対運動によって、北側に隣接した塩崎村に駅名を当初予定の「稲荷山駅」のまま建設された」と伝えられているが、更埴市史第三巻「篠ノ井線の開業」には「宿場衰退の懸念や農民の反対(中略)により誘致に失敗した」と記されているだけで、所在地と駅名の相違に関しての記述は特にない。
 
稲荷山地区がその後も発展を遂げていれば周辺部とはいえ同一視できる距離であったが、鉄道から切り離された事が災いしてその後商業地としては衰退。駅周辺部も元々何もない場所に建設されたことから特段の発展も無く、現在も駅周辺と稲荷山地区との間には[[田畑]]が多く残されており、地区として明確に分断された関係にある。
 
=== 年表 ===
* [[1900年]]([[明治]]33年)[[11月1日]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]篠ノ井線 篠ノ井駅 - 西条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
* [[1971年]]([[昭和]]46年)[[12月10日]] - 貨物の取扱を廃止。
* [[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]により、東日本旅客鉄道の駅となる。
* [[2006年]]([[平成]]18年)[[10月1日]] - [[駅収入管理システム|POS端末]]導入。
* [[2013年]](平成25年)[[9月]] - 駅舎リニューアル工事完成。
 
== 隣の駅 ==
; 東日本旅客鉄道
: {{Color|#f15a22|■}}篠ノ井線
:: {{Color|red|□}}快速「[[おはようライナー (長野)|おはようライナー]]」・{{Color|red|□}}快速(長野方面列車愛称なし)
::: '''通過'''
:: {{Color|red|□}}快速(松本方面列車愛称なし)
::: [[聖高原駅]] ← (一部[[姨捨駅]]) ← '''稲荷山駅''' ← [[篠ノ井駅]]
:: {{Color|graynavy|■}}普通(「[[みすず (列車)|みすず]]」含む)
::: 姨捨駅 - ([[桑ノ原信号場]]) - '''稲荷山駅''' - 篠ノ井駅