「スワヒリ語」の版間の差分

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== 各国の現況 ==
=== タンザニア ===
2012年現在、もっともスワヒリ語の重要性が高いのは[[タンザニア]]である。タンザニアにおいてはスワヒリ語はもともと[[タンガニーカ]]海岸部のスワヒリ系民族の母語であり、内陸部にも広く浸透していた。これを受けて[[1960年]]のタンガニーカ独立と同時ににおいてスワヒリ語は[[公用語]]に指定された。[[1961年]]には沖合いに浮かぶ[[ザンジバル]]を併合してタンザニア連合共和国となるが、ザンジバルにおいてはもともとスワヒリ語の母語話者がほとんどを占めており、この政策はより推進されることとなった。このスワヒリ語重視政策を立案し推進したのは、タンガニーカ初代大統領の[[ジュリウス・ニエレレ]]である。ニエレレは言語統一こそが国家統一において最も重要なもののひとつであると考え、スワヒリ語の普及と整備に多大な貢献をした。スワヒリ語公用語化はニエレレの政策であるが、ほかのアフリカ新独立国においては、[[共通語]]として現地の言葉が広い地域で通用することはあるものの、在来の言葉を公用語化した国家は存在しない。1967年には国立スワヒリ語審議会を設立し、語彙や文法の整備を政府の手で行った。
 
その結果、タンザニアにおいて、政府関係の文書は基本的にスワヒリ語で作られている。また、初等教育はすべてスワヒリ語で行われ、政府もさまざまな形で普及を図っている。これはタンザニア人としてのアイデンティティ創出の一環として推進された。その結果、タンザニアでは国民のほぼ100%がスワヒリ語を解するとされ、国家内で同一の言語が通じることはタンザニアの政情安定に大きく貢献しているとされる<ref>『民主主義がアフリカ経済を殺す: 最底辺の10億人の国で起きている真実』p92-93、甘糟智子訳、日経BP社、2010年1月18日</ref>。一方で、語彙の整備が行われスワヒリ語が高等教育にも十分耐えうる言語となっているにもかかわらず、高等教育においては英語教育が貫かれ、スワヒリ語での高等教育は行われていない<ref>「アフリカのことばと社会 多言語状況を生きるということ」pp407-409 梶茂樹+砂野幸稔編著 三元社 2009年4月30日初版第1刷</ref>。これは他のアフリカ諸国と同様、エリート層においては英語能力がほぼ必須であり、高等教育をスワヒリ語化することでエリート層の優位性の一つが崩れてしまうことへの反発や、研究書等のスワヒリ語訳にはコストがかかり、そのまま英語を使用した方が安上がりに済む場合が多いなどの理由がある
 
=== ケニア ===