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この説は、フェラーラ・フィレンツェ公会議([[バーゼル公会議]]、1431 - 45年)で確定され、[[第1バチカン公会議]](1869-70年)で追認された。この際、後者に反発するグループが[[復古カトリック教会]]を形成した。
 
この説は、[[マタイによる福音書]][[:s:マタイによる福音書(口語訳)#16:18|16章18、19節]]などを根拠として主張されている。この聖句の解釈を巡っては、カトリック教会と[[プロテスタント]]諸教会との間で見解が分かれている。
 
なお、[[正教会]]は教皇首位権を認めずこれが[[東西教会の分裂]]の原因の一つになったが、名誉上はローマの[[総主教]]が古代の五総主教座の首位であることを認めていた。しかし、ローマ教皇の権限の範囲を巡ってローマ・カトリック教会と東方正教会の間に論争があり、これは現在も東西教会の分裂が続く最も大きな要因の一つとなっている。