「セバスチャン・カボット」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
CooZone (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
m avoid red.:ヘンリー7世 (イングランド王)
3行目:
[[ヴェネツィア]]の航海者[[ジョン・カボット|ジョヴァンニ・カボート]]の子として生まれる。[[1484年]]にイギリスに帰化。[[1497年]]には、[[ブリストル]]を出航してアジア航路を開拓する船団に参加。父ジョヴァンニは翌[[1498年]]の航海途上で亡くなるものの、セバスチャンはその遺志を継ぎ、1508年には北アメリカの東海岸を探検する。そこでは後の[[ハドソン湾]]、[[ハドソン海峡]]を発見し、南北をなぞるように[[フロリダ]]まで達した。
 
しかし、父子ともども庇護を受けた[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]の死後、後を継いだ[[ヘンリー8世]]が出資に消極的であったためにイギリスでの活動を諦め、[[1513年]]に英国王の使節として赴いた[[スペイン]]にそのまま移住。宮廷に仕えて主席[[水先案内人]]の地位を得る。[[1526年]]から翌年にかけては[[南アメリカ]]の[[ラプラタ川]]流域も探検したが、成果を挙げられずに帰国したため[[カルロス1世]]の怒りを買って投獄され、次いで[[アフリカ]]へと追放された。[[1533年]]に赦免された後はイギリスへ戻り、船会社の総支配人や製図業者として晩年を過ごした。
 
[[Category:大航海時代|かほとせはすていあん]]