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{{出典の明記|date=2011年12月}}
[[File:An Ō-sasaho yari, the copy of Tonbogiri.JPG|thumb|150px|蜻蛉切写しの大笹穂槍。[[固山宗次]]が[[1847年]]([[弘化]]4年)に作成した。[[東京国立博物館]]所蔵。]]
'''蜻蛉切'''(とんぼきり)は、[[天下三名槍]]と呼ばれた[[槍]]の1つ。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]・[[本多忠勝]]が愛用した事で知られる。
笹穂の槍身で、穂(刃長)1尺4寸(43.7センチ)、茎1尺8寸(55.6センチ)、最大幅3.7センチ、厚み1センチ、重さは498グラム、樋(刃中央の溝)に梵字と三鈷剣が彫られている。三河文珠派、[[藤原正真]]の作。
名称の由来は、戦場で槍を立てていたところに飛んできた[[トンボ|蜻蛉]]が当たって二つに切れたことから、その名がついたという。通常の槍は4.5メートルほどであるが、柄の長さ2丈余(6メートル)であった。しかし、忠勝の晩年には体力の衰えから、3尺余り柄を短く詰められた。青貝螺鈿細工が施された柄であったと伝わるが、現存していない。黒糸威胴丸具足(鹿角の兜)と共に[[本多氏|本多家]]に伝わったが、[[第二次世界大戦]]時に同家を離れ、その後、沼津市の実業家・収集家の矢部利雄(1905-1996)が入手した。[[愛知県]][[岡崎市]]の[[岡崎城]]内施設「三河武士のやかた家康館」にレプリカが展示されている。三島市の[[佐野美術館]]で1015年1月から11年ぶりに展示される<ref>http://digital.asahi.com/articles/ASH172S5CH17UTPB001.html?_requesturl=articles/ASH172S5CH17UTPB001.html&amp;iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH172S5CH17UTPB001</ref>
なお、[[江戸時代]]の記録では、本多家にもう一つ蜻蛉切と呼ばれる槍があり、形は直穂で違うが、同じ模様が彫られ、作者も同じだったという。穂(刃長)1尺4寸(42.4センチ)、茎1尺8寸(54センチ)、幅3.6センチ、厚み1センチ。こちらの消息は全く不明である。