「オオムギ」の版間の差分

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また、上記の品種はすべてうるち性であるが、日本を含む東アジアにはもち性のオオムギも存在する。もち麦は日本では[[もち米]]の代替として西日本中心には栽培され、団子などがこれで作られた。
 
特に日本で生産されるのは二条オオムギ、六条オオムギ、ハダカムギが多い。二条オオムギは明治時代以後に[[ヨーロッパ]]より導入され、[[ビール]]などの醸造用の需要が多くビールムギとも呼ばれる。六条オオムギとハダカムギは古来より日本で栽培されてきた品種で、押し麦や引き割り麦などにして米に混ぜるなど雑穀としての使用のほか、[[麦茶]]の原料ともなる。栽培は、寒さに強い六条オオムギが東日本で主に栽培され、寒さに弱い二条オオムギやハダカムギは西日本で主に栽培される。日本の農産物分類においては、麦類に[[ハトムギ]]や[[エンバク]]、ライムギといったものは含まず、日本での生産量の多いコムギ、二条オオムギ、六条オオムギ、ハダカムギをあわせて4麦という<ref>「新訂 食用作物」p192 国分牧衛 養賢堂 2010年8月10日第1版</ref>
 
==栽培==
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[[古代エジプト]]でも主食の[[パン]]を焼くのに使われており、[[ヒエログリフ]]にも描かれている。その後も長くヨーロッパなど世界各地で重要な穀物であったが、グルテンがないためにコムギに比べて使用法が限定されるため、次第に主食の座から転落し、醸造や飼料用が中心となっていった<ref>「コムギの食文化を知る事典」p25 岡田哲 東京堂出版 平成13年7月15日初版発行</ref>。ヨーロッパにおいては、コムギの普及とともに二義的な地位へと落ち、中世末期にはよりパンに適したライムギよりも重要性が低くなった<ref>「中世ヨーロッパ 食の生活史」p58 ブリュノ・ロリウー著 吉田春美訳 原書房 2003年10月4日第1刷</ref>。一方で、オオムギはすべての主要穀物の中で最も成長が早く、収穫までにかかる日数も短いうえ、乾燥や寒冷に強く、また湿潤にもある程度適応できるなど適応性も高い。このため、温帯中心にユーラシア大陸のかなり広い地域で二義的に栽培された。なかでも[[チベット高原]]においては、ほかの穀物が気候的に栽培不可能であるためにオオムギは主穀となった。
 
[[日本]]には[[弥生時代]]の[[3世紀]]ごろ[[中国大陸]]を経て伝来し、[[奈良時代]]にはすでに広く栽培されていた。『[[類聚三代格]]』には、[[弘仁]]11年([[820年]])の[[太政官符]]として「麦は(米の)絶えたるを継ぎ、乏しきを救うこと穀の尤も良きものなり」との記述がある<ref> 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p78 昭和33年12月25日発行</ref>
 
[[鎌倉時代]]以降[[二毛作]]が普及すると、寒冷と乾燥を好むオオムギは米の裏作として適していたため、栽培はさらに拡大した。[[製粉]]する必要のあるコムギに比べ、オオムギは粒のままで食べるために手間がかからず、コムギよりも熟すのが早いため米の裏作として適していたうえ、不足しがちな米の増量用としても適していたため、このころはコムギより重視され、栽培面積も広かった。明治時代には、コムギの45~47万[[町歩]]に対し、オオムギの作付面積は130万町歩と、3倍近くにまで達していた。しかしその後、米の収量が増えるに連れてより用途の広いコムギ栽培に取って代わられ、オオムギの作付けは減っていき、[[1940年]]には作付面積はコムギが84万町歩、オオムギが74万町歩と逆転していた<ref> 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p78 昭和33年12月25日発行</ref>。[[高度経済成長]]期になると二毛作が経済的に引き合わなくなったためにほとんど行われなくなり、裏作作物の中心的存在であったオオムギ、とくに食用を主とする六条オオムギおよびハダカムギの栽培は激減した。それに対し、明治以降にビール生産用として導入された二条オオムギの生産は大口の需要があったため、六条オオムギやハダカムギの生産が激減した後もしばらくは盛んに生産されていたが、[[1970年代]]以降ビール原料のムギも輸入が増え、それにつれて二条オオムギの生産も減少した<ref>「新訂 食用作物」p194 国分牧衛 養賢堂 2010年8月10日第1版</ref>
 
==用途==