「フォード・グラナダ (ヨーロッパ)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
11行目:
==概要==
===マークⅠ(1972年 - 1977年)===
1972年3月に登場。それまで欧州フォードの上級車は英国では[[:en:Ford Zephyr|ゼファー・ゾディアック]]、西ドイツでは[[フォード・タウヌス|タウヌス]]17M/20M/26Mという全く別のモデルが生産されていたが、1967年の[[フォード・エスコート|エスコート]]に始まり、1969年の[[フォード・カプリ|カプリ]]、1970年の[[フォード・タウヌス|タウヌス]]13-15M/[[フォード・コーティナ|コーティナ]]と進行してきた英独生産モデルの統合が、このグラナダの登場によって完結した。なお、デビュー当初は廉価版は「'''コンサル(Consul)(Consul)'''」という、英国フォードで長年使われた名称が与えられて別車種とされていたが、1975年には全車種が「グラナダ」に統一された。
 
グラナダは機構的には既存フォード各車の方式を踏襲していた。エンジンはイギリス生産車ではV型4気筒2,000cc、V型6気筒2,500/3500/3,000ccのいわゆる「エセックス」エンジンが搭載され、ドイツ生産車には[[フォード・タウヌス|タウヌス]]17Mに用いられていたV型4気筒1700cc、V型6気筒2,000cc/2000/2,300cc/2300/2,600ccの「ケルン」エンジン、そして英国と同じV6・3000ccが積まれていた。ドイツ生産車のV4エンジンは1974年に、アメリカの[[フォード・ピント|ピント]]用に開発・生産されていた直列4気筒エンジンに置き換えられた。サスペンションは[[フォード・タウヌス|タウヌス]]13-17M/[[フォード・コーティナ|コーティナ]]と同じ形式で、前が欧州フォードが開発したマクファーソン・ストラットではなくダブル・ウィッシュボーンの独立、後はコイルスプリングで吊られた固定軸であった。[[:en:Ford Zephyr|ゼファー・ゾディアック]]のブレーキは当時としては珍しい4輪ディスクであったが、グラナダでは後輪は[[フォード・タウヌス|タウヌス]]17M/20M/26M と同じく、ドラムに戻された。
 
ボディバリエーションには2ドア・4ドアセダン、5ドアワゴン、2ドアクーペがあった。クーペは当初コークボトル型の丸みを帯びたスタイルで西ドイツでのみ生産され、英国では売られなかったが、1974年にシリーズ全体がマイナーチェンジを受けた際に直線的なスタイルに改められ、英国でも最上級の「ギア」(従来の「GLX」から改称)仕様に限って販売されるようになった。
 
グラナダは南アフリカでも生産され、現地の道路事情に合わせてV8エンジン搭載車も作られた。また、日本にも1973年頃まではディーラーの[[近鉄モータース]]・[[ニューエンパイヤモーター]]などから輸入されていた。
 
===マークⅡ(1977年 - 1985年)===
1977年8月に登場した二代目は車体を角張らせ、内容を改良したもので、ビッグマイナーチェンジに近いものであった。5ドアワゴンは旧型の車体後半を流用していたほどである。旧型との最大の相違点は、イギリス向けにも23002,300/2800cc2,800ccの「ケルン」V6エンジンが、設計の古い「エセックス」に換えて搭載されたことで、単なるクーラーではない完全なエアコンも装備可能になり、2800ccモデルへの燃料噴射の採用も行われ、リアスポイラーや軽合金ホイールを装備したスポーティモデルとして売られた。[[プジョー・504]]/[[プジョー・505|505]]と同じディーゼルエンジンを搭載したものも、主に[[タクシー]]向けに比較的少数が生産された。また、マークⅡからは英国向けも含めて全てのグラナダがドイツ製となった。また、2ドアクーペはマークⅠ限りで消滅した。
 
1982年にはマイナーチェンジを受け、フロントグリルを空気抵抗の少ない形に変更し、騒音・振動・ショック(NVH)(NVH)低減が行われた。イギリス向けにはコノリー製本革シートを装備した最上級の「ギアXエグゼクティブ」も追加された。
 
マークⅡは韓国の[[現代自動車]]でも[[OEM]]生産され、そこから東南アジア諸国へも輸出された。日本へも1980年代半ば、少数輸入車枠を利用して[[近鉄モータース]]が2.8iの輸入を再開した。