「坂田三吉」の版間の差分

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→‎後継者たち: 昔とはプロ入りの基準が違いますので、確かな出典を提示してもらえませんか。
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阪田が得意とした[[振り飛車]]戦法は、木見門下である[[大野源一]]が改良を加えて引き継いでいる。阪田が創始者とされる戦法に[[阪田流向かい飛車]]・[[袖飛車]]があり、特に袖飛車では花田長太郎が対抗する定跡を作り上げるまでは当時不敗を誇ったと観戦記者の天狗太郎は記している。
 
阪田の一番弟子の藤内金吾(1893年-1968年)は弟子を多く育て、[[高島一岐代]]、[[内藤國雄]]、[[若松政和]]を始めとする「阪田三吉の孫弟子」、さらには若松から「阪田三吉の曾孫弟子」で十七世名人(資格者)の[[谷川浩司]]を生んだ。藤内は元々は棋士でもなんでもなく一介の繊維業者であり、阪田とはいわゆるタニマチとしてのつながりでしかなかった。しかし、個人的に稽古をつけてもらっているうちに阪田の魅力にひかれ、気がつけば39歳からプロ棋士になっていたという<ref>これは長らくプロ入り時の最年長記録であったが、2014年に[[今泉健司]]が更新した。</ref>
 
=== 阪田三吉の系譜 ===