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== 死後 ==
[[File:Yamada Kamachi Museum of Art, Takasaki.jpg|thumb|高崎市山田かまち美術館]]
* 死後、保管されていた詩を書き付けたノートやデッサン水彩画を、母親や恩師などが中心となり詩集や画集として出版、一躍注目を集める。
** 4回忌(81年)と13回忌(89年)に知人らに向けた小さな展覧会が開かれた。その頃はまだ無名の少年だったが、13回忌の展覧会で彼の作品に衝撃を受けた広瀬毅朗画廊によって、[[1992年]]に高崎市片岡町に「山田かまち水彩デッサン美術館」が設立され、小さな山田かまちブームが起きていた。その後、同年12月に『悩みはイバラのようにふりそそぐ : 山田かまち詩画集』が刊行され、全国紙にも広告が載り、これをきっかけに広く世に知られるようになった。テレビでもかまち特集が度々放送された。