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:* 菅の厚生大臣在任中に、[[基礎年金番号]]制度の導入が[[閣議決定]]された(導入は[[小泉純一郎]]が厚相だった[[1997年]]1月)。そのため、2007年に自民党から[[年金記録問題]](「消えた年金記録」問題)についての責任を問う主張があった<ref>[http://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/pdf/2007_nenkin.pdf 年金政策のパンフレット] - 自民党[[Portable Document Format|PDF]]ファイル)</ref>。これに対して、菅は問題の原因は基礎年金番号の導入ではなく年金記録の名寄せ作業がしっかりできていなかったためであるとして「言いがかり以外の何ものでもない」と反論した<ref>「菅直人の今日の一言」2007年[[6月1日]]付</ref>。
 
=== 民主党結党、初代党代表 ===
==== 結党初期 ====
[[1996年]][[9月28日]]、[[新党さきがけ]]の[[鳩山由紀夫]]が[[民主党 (日本 1996-1998)|旧民主党]]を旗揚げすると、これに菅も参加。菅は鳩山と共に[[党首|代表]]となり旧民主党がスタートした。結党当初は[[衆議院議員]]50人、[[参議院議員]]5人の計55人が参加した。 [[1996年]][[10月20日]]、初の[[小選挙区比例代表並立制]]での選挙となる[[第41回衆議院議員総選挙]]に[[東京18区]]より立候補し当選(6期目)
 
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1999年(平成11年)に2回行われた[[民主党代表選挙]]で、1月には再選するが[[松沢成文]]と拮抗し、9月には鳩山由紀夫に敗北した。この直後、党政策調査会長に就任した。
 
==== 二度目の代表として就任 ====
2000年(平成12年)に党幹事長に就任。同年[[6月25日]]、[[第42回衆議院議員総選挙]]で当選(7期目)。2002年(平成14年)12月に鳩山由紀夫代表が辞任すると、[[岡田克也]]幹事長代理を代表選で破り、党代表に再び就任。[[次の内閣]]総理大臣にもあわせて就任した(社民連時代は[[社会党シャドーキャビネット]]に入閣しなかった)。[[政治家の年金未納問題]]により辞任に追い込まれる2004年5月10日まで務めた。
 
2002年5月6日に[[南京大虐殺紀念館]]を訪問し、館内を見学した後に犠牲者に向けて花輪を捧げた。[[小泉純一郎]]首相が同時期に[[靖国神社]]を訪問した事について「断固として反対する」と語ったと[[人民日報]]が報じた<ref>[http://j.peopledaily.com.cn/2002/05/06/jp20020506_16841.html 菅直人幹事長、南京大虐殺記念館を訪問(人民日報)]</ref>。
 
===== 民由合併・マニフェストの導入 =====
2003年9月26日に[[小沢一郎]]が党首を務める自由党との合同を実現した([[民由合併]])。
 
同年11月9日の[[第43回衆議院議員総選挙|第43回衆院選]]では「[[高速道路]]の原則無料化」、「[[小学校]]低学年の30人以下の学級実現」などを[[マニフェスト]](政策綱領)に掲げ、公示前勢力を大幅に上回る177議席を獲得し、[[比例代表]]では自民党を上回った。菅代表は[[衆院選]]を迎えるに当たり、時の小泉首相に対し、自民党はマニフェストを国民の前に提示するかどうかを迫り、期限や事後チェック付きの[[政権]]公約としてのマニフェストと従来の公約との違いを自民党にも明確化するよう迫った<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/156/0018/15607180018026a.html 衆議院会議録情報 第156回国会 予算委員会 第26号]</ref>。小泉首相は、[[政党]]統一の政権公約として期限や事後チェックなどマニフェストとしての扱いを受けることを嫌い明言を避け続けていたが{{要出典|date=2010年8月}}、実際に[[第43回衆議院議員総選挙|2003年衆院選]]が行われることになると、小泉自民党を含む主要政党のほとんどがマニフェストを掲げて選挙戦を戦うこととなり、結果として菅および民主党が日本におけるマニフェスト選挙の定着に大きな役割を果たすこととなる。菅個人は、この[[2003年衆院選]]において初めて[[小選挙区]]のみで出馬し、比例上位優遇で国替えしてきた[[鳩山邦夫]]を破った(8期目)。(鳩山邦夫は[[比例復活]])。
 
===== 年金未納の発覚と党代表辞任 =====
{{see also|政治家の年金未納問題}}
[[小泉内閣]]の閣僚3人の[[国民年金]]未納が相次いで発覚した際、菅は街頭演説で「ふざけてますよね。“[[未納三兄弟]]”っていうんですよ」と自民党議員を批判し、年金未納問題に火を付けた(“未納三兄弟”は、[[1999年]]に発売された歌『[[だんご3兄弟]]』にちなむ)。年金未納閣僚はその後も続々と発覚した。これをチャンスと捉えて民主党[[次の内閣]]全員の国民年金納付書を公開して国民にアピールしようとしたところ、菅自身の厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなった<ref>[http://www.47news.jp/CN/200404/CN2004042801004866.html 福田長官ら4閣僚が未納 年金保険料、菅民主代表も]47NEWS 2004年4月28日</ref>。菅は行政側のミスであると何度も主張したが、[[行政]]側がその都度強く否定し、マスコミ[[報道]]等による[[世論]]により、2004年5月10日に党代表を辞任。しかし、辞任後、[[社会保険庁]]側から間違いを認めて国民年金脱退手続きを取り消したこと、同期間に国民年金の加入者であったことを証明する書面が送付された<ref>[http://www1.dpj.or.jp/news/?num=3322 社会保険庁が菅代表の国民年金脱退手続の誤りを認める]民主党 2004年5月14日</ref>。菅が主張したとおり国民年金の資格喪失は「行政上のミス」によるものであるにも拘らず、事後納付もできないため、未納は解消されず(未納期間2ヶ月)。[[政治評論家]]の[[岩見隆夫]]からは「菅氏の国民年金未加入問題は、本人の申し立て通り『行政上のミス』であった。当時、菅は辞めたほうがいいと書いたことは誤り、お詫びします」としつつ「自身の無年金のおかしさに気付き、対応しなかったのは、政治家としてうかつであった」といった指摘もなされた。<ref>2004年7月17日毎日新聞、[[岩見隆夫]]「近聞遠見:菅さんにお詫びします」</ref>
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|accessdate=2010-9-19
}}
</ref>。菅は党代表代行として国会論戦について主に担当し、[[国会_(日本)|国会]]での[[代表質問]]、テレビ出演などを積極的にこなした。
</ref>。
 
==== ;2007年東京都知事選挙 ====
==== 「子供の生産性」発言 ====
2007年1月、[[柳澤伯夫]][[厚生労働大臣]]の「産む機械」発言が政治問題化した際、代表代行として批判した。しかし、2月6日、[[自由民主党|自民党]][[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]によって、「[[東京]]は日本で一番[[生産性]]の低い大都市。何の生産性か、それは子どもの出生率において…」という民主党大会([[2007年]][[1月]])における菅の演説が中川のホームページで取り上げられ、「出生率と生産性を結びつけるということは、[[出産]]と[[機械]]が結びつくことではないのか」と反撃された。翌日、[[公明党]]議員からも同様の発言<ref>[[名古屋市]]内での演説(2007年1月18日)、[[山陰中央新報]]のインタビュー(2006年8月5日)における同様の発言</ref>を非難された。菅は「12月の衆議院[[本会議]]で同様の趣旨の発言をしているので議事録を読んでください」「生産性のいい[[景気]]のいい[[地域]]では、出生率の点では低いところが多い」と弁明した後、自身のホームページで「[[広辞苑]]によれば、[[生産]]という言葉には出産という意味がある」と反論した。
 
==== 2007年東京都知事選挙 ====
[[ファイル:KAN Naoto 2007.JPG|thumb|2007]]
: [[2007年]][[4月]]の[[2007年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]への出馬待望論が民主党内で沸き起こった。背景には民主党が都議会で[[与党]]だったにも拘らず独自候補の擁立を図る小沢執行部の方針と人選がなかなか決まらぬお家事情があり、党中央の要職にある菅本人が出馬の可能性を否定し続ける中、[[石原慎太郎]][[東京都知事]]に対抗できる目玉候補として[[朝日新聞]]などにも立候補を促された。しかし「国政に携わり政権交代を実現する」ため「太陽が西から出ても、出ることはない」と固辞を貫いた。その一方で[[浅野史郎]]前[[宮城県]]知事など党内外の知名度の高い人物に出馬を打診したとされるがことごとく失敗した。この問題では、菅直人と親交関係にある[[五十嵐敬喜]][[法政大学]][[教授]]らが立ち上げた[[市民団体]]「浅野史郎さんのハートに火をつける会」(現[[都民のハートに火をつける会]])などの説得に応える形で浅野が立候補を決意したことで、民主党は独自候補の擁立を見送って[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などとともに支援に回ることとなったが、浅野があまり都政に精通していなかったことやなかなか決断せず立候補の表明が遅れたこと、さらに[[日本共産党]]が擁立した[[吉田万三]]前[[足立区|足立区長]]との一本化に失敗したことなどが響き、浅野は石原知事に惨敗した。
 
; ガソリン国会
==== 道路族批判 ====
:2008年2月、民主党道路特定財源・暫定税率問題対策本部長として、小沢代表のもとで[[ガソリン国会]]の陣頭指揮を取り、国会論戦、テレビ出演、地方視察を行った。この中で自民党の[[二階俊博]]、[[古賀誠]]などを、[[族議員|道路族]]幹部として激しく批判した。
 
==== 麻生内閣批判 ====
2008年(平成20年)9月24日に発足した [[麻生内閣]]に対し「(安倍総理や福田総理の辞任による)自民党の中のたらい回し、表紙の付け替えに過ぎず、生活は決して良くなっておらず、あらゆる面で行き詰まりを見せており、こうした行き詰まりを革命やクーデターではなく、選挙を通じて打開していくことが[[民主主義]]の力だ」と批判し、一刻も早い[[衆議院解散]]・[[衆議院議員総選挙|総選挙]]の実施を訴えた<ref>[http://www2.dpj.or.jp/news/?num=16935 国民の手に予算を取り戻そう 菅代表代行が東京都亀有駅前で]</ref>。また衆議院[[予算委員会]]で度々質問に立ち、菅の質問、麻生の答弁がマスコミに頻繁に取り上げられた。[[東京都]][[町田市]]の街頭演説会で麻生内閣が景気対策として提案している[[定額給付金]]を[[毒まんじゅう]]として「毒まんじゅう分離法案を与野党で通して[[雇用]]対策などを実行し、解散して国民の信を問うべきだ」と語った<ref>『朝日新聞』2008年12月24日</ref>。この「○○党の中のたらい回し」発言が、のちに政権を担当した際に、そのまま[[ブーメラン効果#政治におけるブーメラン現象|ブーメラン現象]]として返ってくることになる。
 
; YKKK
:この頃、自民党の[[山崎拓]]、[[加藤紘一]]、[[国民新党]]の[[亀井静香]]としばしば意見交換を交わすなど連携を深め4人の頭文字から「YKKK」と称された。山崎は2008年[[12月14日]]に4人そろって出演した[[テレビ朝日]]系の番組[[サンデープロジェクト]]で「この4人が政界再編の一つの軸となり得る」と語った<ref>時事ドットコム 2008年12月14日 [http://www.jiji.com/jc/zc?k=200812/2008121400038 「YKKK」政界再編の軸?=山崎、加藤、菅、亀井氏がテレビ出演]</ref>。
 
2009年2月4日、衆議院予算委員会で麻生首相に「民主党の[[経済]]対策は真水で57兆円、総額87兆円。この方が国民のためになる」とアピールしたが、[[与謝野馨]]経済財政担当相は「数字の競争ならばいくらでもできる」「中身が大変、不正確(NTF)」と真面目に取り合わなかった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090204/plc0902042008012-n1.htm 民主党は「罵詈雑言」戦術? 衆院予算委 産経ニュース 2009.2.4]{{リンク切れ|date=2014年8月}}</ref>。
 
2009年5月に小沢一郎が[[西松建設事件]]に関連して自身の[[公設秘書]]が[[逮捕]]された件で党代表を辞任すると、後任の代表となった鳩山由紀夫により、菅は引き続き党代表代行に再任。小沢も代表代行に就任しトロイカ体制は継続された。菅は党代表代行として国会論戦について主に担当し、[[国会_(日本)|国会]]での[[代表質問]]、テレビ出演などを積極的にこなした。
 
=== 鳩山由紀夫内閣入閣 ===
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この代表選で再選したことにより内閣支持率は回復するが、代表選期間中に発生した[[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]への甘い対応などにより支持率は再び低下に転じた。また衆院北海道5区補選([[2010年日本の補欠選挙]])や、[[2010年和歌山県知事選挙]]、[[2010年茨城県議会議員選挙]]といった大型地方選で敗北を重ねたことで、統一地方選を翌年春に控えた民主党内部の不満が高まっていった。こうした中、[[2011年]][[1月14日]]、菅は内閣改造を行い、[[菅内閣 (第2次改造)|菅第2次改造内閣]]が発足。しかし、政権の低迷は続き、[[3月6日]]、前原誠司が外国籍の人物から違法献金を受けていた件で外務大臣を辞職した直後の2011年3月11日、菅自身にも外国人献金問題([[#在日韓国人違法献金問題|後述]])が持ちあがった。
 
==== 東北地方太平洋沖地日本大 ====
[[2011年]][[3月11日]]14時46分に[[東北地方太平洋沖地震]]が発生。[[東日本大震災]]およびそれに付随するかたちで[[福島第一原子力発電所事故]]が発生すると、地震・原子力災害の対策に政府・与野党が集中し、菅内閣への退陣運動は一時的に中断し、菅は内閣総理大臣として災害対策に当たった。
 
菅は震災発生の翌3月12日に[[自衛隊]]の派遣規模を2万人から5万人に拡大するよう指示し、3月13日には、[[首都直下地震]]への対処計画をもとに、自衛隊史上最大となる陸海空あわせて10万人規模の災害派遣を指示した。5日後の18日には10万人を超える態勢となり、最大時で約10万7千人規模の派遣となった<ref>{{Cite report |author= |authorlink= |coauthors= |date= |title= 平成24年版 防衛白書|url= http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2012/2012/html/n3131000.html|publisher= 防衛省|accessdate= 2012-9-12|}}</ref><ref>{{Cite web |author=谷田邦一|date= 2011-03-20|url= http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2011032000009.html|title= 東日本大震災、史上最大の自衛隊作戦|publisher= 朝日新聞社|accessdate=2012-09-12}}</ref>。
 
しかし、自民党を中心に震災対応に対する指導力不足が指摘され<ref>http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011043002000068.html</ref>、被災者の仮設住宅入居について「何としてもお盆までにすべての希望する人が仮設住宅に入れるように、私の内閣の責任として実行する」と述べたことについて自民党の[[野村哲郎]]は「根拠がない」と批判し<ref>http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110502ddm002040096000c.html</ref>、のちにそれが菅の個人的な目標であったことが明らかになると同党の[[林芳正]]は「リーダー失格」と批判した<ref>http://web.archive.org/20110505001630/mainichi.jp/select/seiji/news/20110502k0000e010062000c.html</ref>。
 
===== 福島第一原子力発電所事故 =====
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; 現地視察
[[3月12日]]午前3時、東京電力からの、1号機の格納容器の破裂を避けるために炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げる[[爆破弁#区別すべき他の概念|ベント]]作業の実施の依頼に対して、官邸は東京電力に、{{要出典範囲|枝野官房長官(当時)らが、国民に広報するまで待つことを指示した上で、|date=2014年8月}}許可を出した。<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>そして、現地の状況が十分に把握できないことから、菅直人首相自身が、ベント実施に並行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、同日7時11分、菅が事故現場にカメラマンらとともに到着した<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたこと、また東電から官邸への情報通達が行われないなどの情報錯そうもありベントの作業は難航しており、菅の到着した時間になっても未だベント操作が行われていなかったため、到着した菅は当時福島第一原子力発電所所長であった吉田昌郎に直接説明を求めた。結局ベントは同日14時30分にようやく実施された<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01cpd2m Inside the Meltdown] - [[英国放送協会|英BBC]]</ref>。
 
この点について、[[野党]]は、菅が震災翌日に福島原発を視察する「政治的パフォーマンス」を行ったことで事故対応の初動に遅れが生じたと批判していた<ref name="答弁">「首相 反論また反論 歴代政権に責任転嫁も」『日本経済新聞』2011年3月30日付朝刊、13版、4面。</ref>が、吉田は菅の視察による作業への影響は全くなかったと聴取で答えている<ref>[http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/detail/2014/0830_yoshida_chousho.html福島第1原発・吉田昌郎元所長の「聴取結果書」要旨] - 東奥日報</ref>。
 
官房長官だった枝野幸男はこの視察に関し「首相を守る観点からは体を張ってでも止めるべきだったが、事故をいかに小さく、早く収束させるかという観点からは間違っていなかった」と擁護している<ref>2012年3月1日の衆院予算委員会。 2012年3月2日 時事通信</ref>。他方。当時経済産業相だった[[海江田万里]]は「原子力緊急事態宣言」の発令を求めたが、菅の了解を得るのに手間取ったと証言、これにより政府の初動対応が遅れたと証言している<ref>読売新聞 5月17日(木)21時27分配信 初動遅れ「菅氏説得に時間かかった」…海江田氏</ref>。これに対し菅は「もっと早ければという指摘は受け止めるが、首相官邸の対策室はすでに動いており結果的に支障はなかった」と釈明した<ref>{{cite news
| url = http://www.nikkei.com/article/DGXDASFS2801V_Y2A520C1MM8000/
| title = 菅前首相、原発事故「国の責任」 視察批判に反論
| newspaper = 読売新聞
| date = 2012-05-17
| accessdate = 2012-06-05
}}</ref>。
 
[[ファイル:2011.3.18日本内閣総理大臣菅直人会見国際原子力機関事務局長天野之弥 Japanese Prime Minister Naoto Kan talks with IAEA Director General Yukiya Amano.jpg|thumb|200px|3月18日菅直人首相会見[[国際原子力機関]]事務局長[[天野之弥]]]]
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[[ファイル:日本内閣総理大臣菅直人在G8主要国首脳会議 Japanese Prime Minister Naoto Kan at press conference during the 37th G8 summit in Deauville, France..jpg|thumb|200px|2011.5.27菅直人在G8[[主要国首脳会議]]]]
; 官房参与の増員
菅は事故対応をめぐり、東京電力や原子力安全・保安院、[[原子力安全委員会]]へ強い不信感を募らせ、「セカンドオピニオンも重要」として[[内閣官房参与]]を次々に増員し、依存を強めていったといわれている<ref name="乱立">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110410-OYT1T00366.htm|title=本部や会議が乱立…指揮系統、官僚も「不明」|newspaper=読売新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10|author=吉村隆平、鎌田秀男}}</ref><ref>{{Cite news|author=影山哲也|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110330ddm005010167000c.html|title=菅首相:内閣官房参与、続々任命 東電、経産省へ不信感|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10}}</ref>。他方、組織が乱立したことによる混乱も見られた。内閣官房参与の[[小佐古敏荘]]が辞任した問題では、菅が小佐古と面識がなく任命に際して事前の面談が行われなかったことが発覚、慰留が[[細野豪志]]補佐官に丸投げされていたことが批判された<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110502-OYT1T01005.htm|title=任命時は面談せず辞任時は人任せ…首相を批判|newspaper=読売新聞|date=2011-05-02|accessdate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110503/plc11050300300001-n1.htm |title=小佐古氏と面識なく参与に任命 参院予算委で首相|newspaper=産経新聞|date=2011-05-03|accessdate=2011-05-04}}</ref>
 
* 内閣官房参与の[[小佐古敏荘]]が辞任した問題では、菅が小佐古と面識がなく任命に際して事前の面談が行われなかったことが発覚、慰留が[[細野豪志]]補佐官に丸投げされていたことが批判された<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110502-OYT1T01005.htm|title=任命時は面談せず辞任時は人任せ…首相を批判|newspaper=読売新聞|date=2011-05-02|accessdate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110503/plc11050300300001-n1.htm |title=小佐古氏と面識なく参与に任命 参院予算委で首相|newspaper=産経新聞|date=2011-05-03|accessdate=2011-05-04}}</ref>。
* 内閣官房参与の[[松本健一]]が菅との会談後「原発周辺は10年、20年住めない」「東日本はつぶれる」と会談の内容を明かし、波紋を呼んだ際には、菅が「事実無根」「松本の発言」としたことが疑問視され、産経新聞の阿比留瑠比から菅は「歩く風評被害」と評された<ref name="岩見">{{Cite news|author=岩見隆夫|url=http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20110423ddm012070042000c.html|title=近聞遠見:「心がない」と責められて|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-05-03|archiveurl=https://archive.is/msTy|archivedate=2012-07-11}}</ref><ref name="阿比留2">{{Cite news|author=阿比留瑠比|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110422/plc11042223130035-n1.htm|title=「東日本つぶれる」「20年住めない」…首相は「歩く風評被害」|newspaper=産経新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-05-03}}</ref>。
 
; 感謝広告
2011年4月11日、東日本大震災に対する義捐への感謝広告を[[菅直人]]首相名義で、米国、英国、韓国、中国、ロシア、フランスの6カ国7紙の新聞に掲載した。最大規模の支援を行った[[台湾]]([[中華民国]])については外交関係が無いことから掲載を行わなかったが、実質的な在台湾の日本大使館として機能している[[財団法人交流協会]]を通じて[[馬英九]]総統、[[呉敦義]]行政院長、楊進添・外交部長に対し感謝状を送った<ref>[http://www.j-cast.com/2011/04/12092867.html?p=2 菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由]JCAST2011年4月12日</ref><ref>[http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=123364 馬・総統、菅首相の感謝状に「台湾の愛は誇り」]Radio Taiwan International2011年4月11日</ref>。当初、広告は予算の関係で上記6カ国7紙にとどまっていたが、無料で受け入れる新聞が増加したことにより31カ国・地域の105紙に掲載された<ref>[http://megalodon.jp/2011-0415-2212-33/sankei.jp.msn.com/politics/news/110415/plc11041520360027-n1.htm 首相の感謝広告 世界100紙以上に無料掲載]MSN産経ニュース2011年4月15日</ref>。更に交流協会は、震災から1周年となる2012年3月11日に合わせて1週間に渡り、台湾の全土を対象とするテレビCMや特別番組、新聞広告などを展開した。他の国における日本大使館は、このようなことを行っていない<ref>{{cite news
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| accessdate = 2012-07-09
}}</ref>。
 
; SPEEDI公表問題
2011年6月3日には自民党の[[森まさこ]]が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム[[SPEEDI]](スピーディ)の存在と意義を十分に知りながら、原発事故の[[ベント]]作業が行われたときに公表の遅れ<ref>2010年10月20日と21日、[[中部電力]][[浜岡原子力発電所|浜岡原発]]を対象に国の[[原子力総合防災訓練]]が実施されたため菅も知っていたとされた。</ref>が周辺住民を被曝の危険にさらしたと指摘<ref>2011年6月3日の参院予算委員会</ref>。菅は「予測図は私や官房長官には伝達されなかった」「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。責任者として大変申し訳ない」と陳謝した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110604/plc11060401380003-n1.htm 産経ニュース]2011年6月4日</ref><ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=24740&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=8513&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=25001 国会会議録検索システム]2011年6月3日</ref>。
 
森はこの問題をその後も追及し、原発事故のベント作業が行われたとき、SPEEDIの予測データを住民の避難に役立てようとせず、被曝を拡大させたとした。菅政権は「予測図を作成したが、仮の数値に基づく予測で不正確」との理由で非公開にしたと答弁。しかし、訓練マニュアルには「放射性物質の単位量放出を仮定して拡散予測計算を行い、その結果を関係機関に配信」と明記されており、ベントまで8時間の余裕があったにもかかわらず住民への避難勧告を出すなどの、適切な対応を菅政権が怠った結果、子供達が深刻な被曝を受けた点を追及された<ref>「住民に被ばく強いた」と、[[東京新聞]]2011年10月6日の特報面「ニュースの追跡」で報じられた。[[産経新聞]]2011年10月4日に、福島の子供10人の甲状腺機能が変化していることを、[[信州大学医学部附属病院|信州大病院]]の調査チームが確認したと報じられた。</ref>。
 
; エネルギー政策の見直し
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; 野党時代
* [[中尾則幸]]は[[1998年]][[第18回参議院議員通常選挙]]で当初は[[北海道選挙区]]から出馬を希望していたが、定数8から4(改選議席4から2)に変更されたことで92年初当選同期の現職[[峰崎直樹]]に同候補の座を奪われ比例区へ転出。さきがけ時代からの同志で中尾の後見人的存在であった幹事長代理鳩山由紀夫が代表の菅に「くれぐれも、犠牲を払った中尾君が再選出来るように宜しく頼む」と上位にランクするように依頼したが結果は当選圏外。それ以後の鳩山は菅に対して不信感を露わにし、(中尾の友人)で[[ジャーナリスト]]の[[ばばこういち]]にまで吐露した。
*2007年1月、[[柳澤伯夫]][[厚生労働大臣]]の「産む機械」発言が政治問題化した際、代表代行として批判した。しかし、2月6日、[[自由民主党|自民党]][[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]によって、「[[東京]]は日本で一番[[生産性]]の低い大都市。何の生産性か、それは子どもの出生率において…」という民主党大会([[2007年]][[1月]])における菅の演説が中川のホームページで取り上げられ、「出生率と生産性を結びつけるということは、[[出産]]と[[機械]]が結びつくことではないのか」と反撃された。翌日、[[公明党]]議員からも同様の発言<ref>[[名古屋市]]内での演説(2007年1月18日)、[[山陰中央新報]]のインタビュー(2006年8月5日)における同様の発言</ref>を非難された。菅は「12月の衆議院[[本会議]]で同様の趣旨の発言をしているので議事録を読んでください」「生産性のいい[[景気]]のいい[[地域]]では、出生率の点では低いところが多い」と弁明した後、自身のホームページで「[[広辞苑]]によれば、[[生産]]という言葉には出産という意味がある」と反論した。
*2008年(平成20年)9月24日に発足した 麻生内閣に対し2008年12月、[[東京都]][[町田市]]の街頭演説会で内閣が景気対策として提案している[[定額給付金]]を'''[[毒まんじゅう]]'''として「毒まんじゅう分離法案を与野党で通して[[雇用]]対策などを実行し、解散して国民の信を問うべきだ」と語った<ref>『朝日新聞』2008年12月24日</ref>。
*2009年2月4日、衆議院予算委員会で麻生首相に「民主党の[[経済]]対策は真水で57兆円、総額87兆円。この方が国民のためになる」とアピールしたが、[[与謝野馨]]経済財政担当相は「数字の競争ならばいくらでもできる」「中身が大変、不正確(NTF)」と真面目に取り合わなかった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090204/plc0902042008012-n1.htm 民主党は「罵詈雑言」戦術? 衆院予算委 産経ニュース 2009.2.4]{{リンク切れ|date=2014年8月}}</ref>。
*麻生太郎首相に対しては、「『一流ホテルのバーが安い』という感覚そのものが問われている。『安いところで酒を飲む』と言うと、われわれの感覚では焼き鳥屋だ」と連日の高級ホテルで政財界の要人と会談していることを批判した<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081023-421994.html nikkansports]2008年10月23日</ref>。一方、自身も総理大臣就任後に平均予算2万円以上の高級レストランで側近や夫人と連日の会食を続けていた<ref>中国新聞 (2010/12/30) 『首相の会食、身内ばっかり 「情報不足」に拍車』 [http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201012290154.html]</ref><ref>首相夕食『身内』と息抜き 1位は補佐官、次いで夫人(東京新聞 2010年12月8日 朝刊)</ref><ref>読売新聞 2010年12月8日10時02分『情報過疎の一因?首相、面会・会食は側近ばかり』 [http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101208-OYT1T00185.htm]</ref>ことについて、客層の限られる高級店のほうが警備は容易であるとの理由が挙げられている<ref>[http://www.asahi.com/politics/update/0303/TKY201103030517.html asahi.com]2011年3月4日</ref>。また2011年7月21日からの20日間に菅が外食したのは焼き鳥店やすし店など4回で、食事に関しては「ほとんど何だってかまわない人」だという<ref>日本経済新聞 2011年8月11日夕刊</ref>。
 
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*2010年8月19日、自衛隊制服組との意見交換会において「改めて法律を調べてみたら『総理大臣は自衛隊の最高の指揮監督権を有する』と規定されており、そういう自覚を持って、皆さん方のご意見を拝聴し、役目を担っていきたい」と発言した。この意見交換会の前に、防衛大臣の[[北澤俊美]]に対して「昨日予習をしたら、(防衛)大臣は自衛官じゃないんですよ」と発言し、その知識不足を懸念された<ref>「菅首相知らなかった?「大臣は自衛官じゃないんですよ」(朝日新聞2010年8月19日)</ref>。
 
=== 東日本大震災、福島原発事故への対応と評価 ===
;初動対応
菅は総理辞任後に[[日本放送協会|NHK]]が行ったインタビューの中で、原発事故の初動対応でベントが遅れた理由として、「一つは技術的に放射線量が高いとか、暗いとか、いろいろな資材が足りないとかで作業ができなかったことは十分あり得る。もう一つは、当時東京電力の最高責任者の2人が事故が発生した11日の段階で本店におらず、そういうことが影響したのかもしれない」と述べている<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110912/1430_kanzensyusho.html 菅前首相 原発事故を語る(NHKニュース 9月12日 6:15更新)]</ref>。
当時の[[野党]]は、菅が震災翌日に福島原発を視察する「政治的パフォーマンス」を行ったことで事故対応の初動に遅れが生じたと批判していた<ref name="答弁">「首相 反論また反論 歴代政権に責任転嫁も」『日本経済新聞』2011年3月30日付朝刊、13版、4面。</ref>が、吉田は菅の視察による作業への影響は全くなかったと聴取で答えている<ref>[http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/detail/2014/0830_yoshida_chousho.html福島第1原発・吉田昌郎元所長の「聴取結果書」要旨] - 東奥日報</ref>。菅は総理辞任後に[[日本放送協会|NHK]]が行ったインタビューの中で、原発事故の初動対応でベントが遅れた理由として、「一つは技術的に放射線量が高いとか、暗いとか、いろいろな資材が足りないとかで作業ができなかったことは十分あり得る。もう一つは、当時東京電力の最高責任者の2人が事故が発生した11日の段階で本店におらず、そういうことが影響したのかもしれない」と述べている<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110912/1430_kanzensyusho.html 菅前首相 原発事故を語る(NHKニュース 9月12日 6:15更新)]</ref>。官房長官だった枝野幸男はこの視察に関し「首相を守る観点からは体を張ってでも止めるべきだったが、事故をいかに小さく、早く収束させるかという観点からは間違っていなかった」と擁護している<ref>2012年3月1日の衆院予算委員会。 2012年3月2日 時事通信</ref>。他方。当時経済産業相だった[[海江田万里]]は「原子力緊急事態宣言」の発令を求めたが、菅の了解を得るのに手間取ったと証言、これにより政府の初動対応が遅れたと証言している<ref>読売新聞 5月17日(木)21時27分配信 初動遅れ「菅氏説得に時間かかった」…海江田氏</ref>。これに対し菅は「もっと早ければという指摘は受け止めるが、首相官邸の対策室はすでに動いており結果的に支障はなかった」と釈明した<ref>{{cite news
| url = http://www.nikkei.com/article/DGXDASFS2801V_Y2A520C1MM8000/
| title = 菅前首相、原発事故「国の責任」 視察批判に反論
| newspaper = 読売新聞
| date = 2012-05-17
| accessdate = 2012-06-05
}}</ref>。
 
; SPEEDI公表問題
2011年6月3日には自民党の[[森まさこ]]が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム[[SPEEDI]](スピーディ)の存在と意義を十分に知りながら、原発事故の[[ベント]]作業が行われたときに公表の遅れ<ref>2010年10月20日と21日、[[中部電力]][[浜岡原子力発電所|浜岡原発]]を対象に国の[[原子力総合防災訓練]]が実施されたため菅も知っていたとされた。</ref>が周辺住民を被曝の危険にさらしたと指摘<ref>2011年6月3日の参院予算委員会</ref>。菅は「予測図は私や官房長官には伝達されなかった」「情報が正確に伝わらなかったことに責任を感じている。責任者として大変申し訳ない」と陳謝した<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110604/plc11060401380003-n1.htm 産経ニュース]2011年6月4日</ref><ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=24740&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=8513&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=25001 国会会議録検索システム]2011年6月3日</ref>。
 
森はこの問題をその後も追及し、原発事故のベント作業が行われたとき、SPEEDIの予測データを住民の避難に役立てようとせず、被曝を拡大させたとした。菅政権は「予測図を作成したが、仮の数値に基づく予測で不正確」との理由で非公開にしたと答弁。しかし、訓練マニュアルには「放射性物質の単位量放出を仮定して拡散予測計算を行い、その結果を関係機関に配信」と明記されており、ベントまで8時間の余裕があったにもかかわらず住民への避難勧告を出すなどの、適切な対応を菅政権が怠った結果、子供達が深刻な被曝を受けた点を追及された<ref>「住民に被ばく強いた」と、[[東京新聞]]2011年10月6日の特報面「ニュースの追跡」で報じられた。[[産経新聞]]2011年10月4日に、福島の子供10人の甲状腺機能が変化していることを、[[信州大学医学部附属病院|信州大病院]]の調査チームが確認したと報じられた。</ref>。
 
; 民間の事故調報告
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; 国連人権理事会
* 2012年11月26日に国連人権理事会の特別報告者のアナンド・グローバーは、当時の政府の対応の問題点として以下の3点を指摘した。(1)日本政府が被害にあわれた住民の方々に安定ヨウ素剤に関する指示を出さず、配布もしなかったこと、(2)政府が正確な情報を提供して、住民を汚染地域から避難させさせることをせず、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射線量の情報および放射性プルームの動きが直ちに公表されることがなかったこと。(3)避難対象区域は、実際の放射線量ではなく、ホットスポットを無視したものであったこと。<ref>[http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/ 国連人権理事会特別報告者 アナンド・グローバー プレス・ステートメント 2012年11月26日]</ref>。
 
;自民党
しかし、*自民党を中心に震災対応に対する指導力不足指摘され<ref>http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011043002000068.html</ref>、被災者の仮設住宅入居について「何としてもお盆までにすべての希望する人が仮設住宅に入れるように、私の内閣の責任として実行する」と述べたことについて自民党の[[野村哲郎]]は「根拠がない」と批判し<ref>http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110502ddm002040096000c.html</ref>、のちにそれが菅の個人的な目標であったことが明らかになると同党の[[林芳正]]は「リーダー失格」と批判した<ref>http://web.archive.org/20110505001630/mainichi.jp/select/seiji/news/20110502k0000e010062000c.html</ref>。
 
; 当時の閣僚による評価
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''産経新聞系列''
:産経新聞は「引きこもり」「枝野官房長官に説明を丸投げ」「パフォーマンスばかりが目立つ」等と批判している<ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110324/plc11032421120017-n1.htm|title=菅首相:谷垣・自民党総裁に入閣を要請、本人は断る|newspaper=産経新聞|author=阿比留瑠比|date=2011-03-24|accessdate=2011-04-02}}</ref><ref name="パフォーマンス">{{Cite news|url=http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110402/plt1104021512001-n1.htm|title=菅また暴走視察「オレが行く」周囲に怒鳴りまくり|newspaper=夕刊フジ|date=2011-04-02|accessdate=2011-04-10}}</ref>。産経新聞の阿比留瑠比は内閣官房参与の[[松本健一]]が菅との会談後「原発周辺は10年、20年住めない」「東日本はつぶれる」と会談の内容を明かし、波紋を呼んだ際には、菅を「歩く風評被害」と評した<ref name="岩見">{{Cite news|author=岩見隆夫|url=http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20110423ddm012070042000c.html|title=近聞遠見:「心がない」と責められて|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-05-03|archiveurl=https://archive.is/msTy|archivedate=2012-07-11}}</ref><ref name="阿比留2">{{Cite news|author=阿比留瑠比|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110422/plc11042223130035-n1.htm|title=「東日本つぶれる」「20年住めない」…首相は「歩く風評被害」|newspaper=産経新聞|date=2011-04-23|accessdate=2011-05-03}}</ref>。また、岩手県陸前高田市や宮城県石巻市を視察したことに関して、視察を「迷惑」「KY視察(空気読めない視察)」と報じている<ref>{{Cite news|url=http://www.sanspo.com/shakai/news/110403/sha1104030505005-n2.htm|title=菅首相“KY”視察、被災地で笑えぬ冗談|newspaper=サンケイスポーツ|date=2011-04-03|accessdate=2011-04-10}}</ref>。菅の脱原発発言についても、長年、反原発を唱えてきた弁護士で、イタリア人ジャーナリストのピオ・デミリアとイタリア料理店で夫人の菅伸子と共にテーブルを囲み「日本も脱原発を決めたイタリアと同じく、原発の是非を国民投票でやりなさい」と言われた日以降、脱原発へ踏み込んだのではないかと報じている<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110731/stt11073121180006-n1.htm 首相「脱原発」にイタリア人の影 ちらつく極左テロ組織] 産経新聞、2011年7月31日。</ref>。これに対して、菅の下で審議官を務めた下村健一は、社会市民連合から初出馬した際の政策チラシに脱原発の内容が書かれていることを示して、「延命のための思いつき」という批判には当たらないと反論している<ref>テレビ朝日『[[モーニングバード]]』2011年8月4日放送</ref>。政府の事故調が原発事故に関する報告書を公開した際にも「調査の結果、菅による人災が証明されたといえる」としており<ref>{{cite news|title=パニックと極度の情報錯綜「やめた方がいいですよ」枝野氏は菅首相にダメ出していたが…|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120228/plc12022800190001-n1.htm|newspaper=産経新聞|date=2012-02-28|accessdate=2013-02-09}}</ref>、一部菅を評価する調査結果についても原発事故担当相だった細野豪志が民間事故調の聴取で、菅が東京電力本店に赴き「撤退はあり得ない」などと発言したことについて「日本を救ったと思っている」と話ったことが明かされていることから、民間事故調が報告書の中で、菅が東電本店に乗り込んだ際の言動を評価したことについては、細野の証言が強く影響しているとしている<ref>{{cite news|title=「菅前首相は日本を救った」と細野環境相|url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120724/dst12072423480020-n1.htm|newspaper=産経新聞|date=2012-07-24|accessdate=2013-02-09}}</ref>。
 
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