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* 初先発出場:1968年8月3日、対[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]15回戦([[大阪球場]])、7番・[[右翼手]]で先発出場
* 初安打・初本塁打・初打点:1968年8月13日、対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]16回戦(平和台球場)、6回裏に伊藤光四郎の代打で出場、[[小野坂清]]から左越ソロ
* 100本塁打:1975年8月28日、対[[埼玉西武ライオンズ|西鉄太平洋クラブライオンズ]]後期12回戦(平和台球場)、6回表に[[東尾修]]から左中間へソロ ※史上85人目
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:2回 ([[1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1971年]]、[[1972年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|1972年]] いずれも西鉄時代)
:1971年の第1戦([[阪急西宮スタジアム|阪急西宮球場]])ではスタメン出場したが、そこで[[江夏豊]]([[阪神タイガース|阪神]])の“'''オールスター9連続奪三振'''”に6番目の打者として遭遇してしまう。しかし東田自身は四半世紀以上後に[[朝日放送]]の[[ドキュメンタリー|スポーツドキュメンタリー番組]]「[[キラリ]]」で同記録を取り上げた回に証言者として出演し、「僕は一流選手ではなかったので、江夏の大記録が僕にとっては不名誉でも、三振した面々の一人として僕の名が球史に残ることだけ嬉しい」と語っていた。