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=== 内閣総理大臣 ===
[[ファイル:Dmitry Medvedev and Naoto Kan cropped 36th G8 summit member 20100625.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[6月25日]]、[[第36回主要国首脳会議|第36回主要8か国首脳会議]]にて[[ドミートリー・メドヴェージェフ]]と]]
[[ファイル:Naoto Kan and Barack Obama 20100627 3.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[6月27日]]、日米首脳会談後の記者会見にて[[アメリカ合衆国]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[バラク・オバマ]](右)と]]
[[ファイル:2010.6.27日本内閣総理大臣菅直人会見大韓民国大統領李明博 Japanese Prime Minister Naoto Kan meets with Republic of Korea President Lee Myung-bak.jpg|thumb|200px|会見[[大韓民国]]大統領[[李明博]]]]
[[ファイル:Sebastian Pinera and Naoto Kan cropped Sebastian Pinera and Naoto Kan 20101114.jpg|thumb|200px|2010年[[チリ|チリ共和国]][[チリ大統領の一覧|大統領]][[セバスティアン・ピニェラ]]]]
[[ファイル:2011.4.17日本内閣総理大臣菅直人会見アメリカ合衆国国務長官ヒラリー・クリントン Japanese Prime Minister Naoto Kan meets with U.S. State Secretary Hillary Clinton.jpg|thumb|200px|2011年会見[[アメリカ合衆国]]国務長官[[ヒラリー・クリントン]]]]
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| date = 2010-06-08
| accessdate = 2010-07-22
}}</ref>。
}}</ref>。「恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことを無くすことにこそ政治が力を尽くすべきだ」と発言した。「最小不幸社会」は高校時代に読んだ[[オルダス・ハクスリー]]の『[[すばらしい新世界]]』の影響を受けて自身の政治哲学としたと語っている<ref>{{Cite web
|url=http://www.dot-jp.or.jp/mm/interview/jpi/12/
|title=Japan Producer インタビューvol.12 菅 直人 衆議院議員
|publisher=[[ドットジェイピー (NPO)|NPO法人ドットジェイピー]]
|accessdate= 2010-1-7
}}</ref>。
 
==== 小沢グループとの党内対立 ====
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しかし、2010年7月11日投開票の[[第22回参議院議員通常選挙]]で、獲得議席は現有の54議席を大きく下回る44議席にとどまった。この結果、参議院で過半数を失うねじれ状態にとなり、菅の党内における求心力は低下した。9月の党代表選に向け、菅は再選に意欲をみせるが、小沢に近い議員グループを中心に党執行部の参院選敗退の責任を問う声が強まり、小沢擁立の動きも加速した。
 
こうした中、党の分裂を懸念した前首相の鳩山由紀夫が仲介に乗り出した。鳩山は菅に小沢の出馬見送りと引き換えに枝野幹事長、仙谷官房長官の更迭や小沢の要職での起用、トロイカ体制に輿石参院会長を加えた「トロイカ+1」体制の構築などを菅に要請し<ref>日本経済新聞(2010年8月27日)</ref>、告示直前まで調整が行われたが、菅は密室談合を懸念し両者折り合わず、最後に菅-小沢会談が行われたが、結局物別れに終わった<ref name="troika"/>。鳩山はこれまでの菅続投支持から一転、小沢支持を表明。これを受け小沢は告示日である[[9月1日]]に出馬表明し、代表選での菅との直接対決に突入した。この代表選において<!--両陣営の激しい多数派工作が行われ、立会演説会における[[動員]]が指摘される<ref name="mobilization">{{Cite news|url=http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100905-OHT1T00048.htm|title=菅首相に「辞めろ」「出直せ」街頭演説で痛烈ヤジ…民主代表選|newspaper=スポーツ報知|date=2010-09-05 |accessdate=2010-09-08|archiveurl=http://web.archive.org/20100908051720/hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20100905-OHT1T00048.htm|archivedate=2010-09-08}}</ref>など激しい選挙戦となった。政策面では-->菅は金銭問題が取りざたされる小沢を意識し、クリーンでオープンな党運営や雇用政策の重視を主張し、一方の小沢は衆議院総選挙での2009マニフェストの順守、地方への紐付き[[補助金]]の一括廃止、早期の消費税率アップの反対など主張した<ref>{{Cite news
|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&rel=j7&k=2010091100331
|title=首相、小沢氏の論戦の主なポイント
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この代表選で再選したことにより内閣支持率は回復するが、代表選期間中に発生した[[尖閣諸島中国漁船衝突事件]]への対応が迷走したことなどにより支持率は再び低下に転じた。また衆院北海道5区補選([[2010年日本の補欠選挙]])や、[[2010年和歌山県知事選挙]]、[[2010年茨城県議会議員選挙]]といった大型地方選で敗北を重ねたことで、統一地方選を翌年春に控えた民主党内部の不満が高まっていった。こうした中、[[2011年]][[1月14日]]、菅は内閣改造を行い、[[菅内閣 (第2次改造)|菅第2次改造内閣]]が発足。しかし、政権の低迷は続き、[[3月6日]]、前原誠司が外国籍の人物から違法献金を受けていた件で外務大臣を辞職した直後の2011年3月11日、菅自身にも外国人献金問題([[#在日韓国人違法献金問題|後述]])が持ちあがった。
 
==== 東日本大震災、福島第一原子力発電所事故 ====
{{See also|#東日本大震災、福島原発事故への対応と評価|福島第一原子力発電所事故#日本政府の対応}}
[[2011年]][[3月11日]]14時46分に[[東北地方太平洋沖地震]]が発生。[[東日本大震災]]およびそれに付随するかたちで[[福島第一原子力発電所事故]]が発生すると、地震・原子力災害の対策に政府・与野党が集中し、菅内閣への退陣運動は一時的に中断し、菅は内閣総理大臣として災害対策に当たった。
 
菅は震災発生の翌3月12日に[[自衛隊]]の派遣規模を2万人から5万人に拡大するよう指示し、3月13日には、[[首都直下地震]]への対処計画をもとに、自衛隊史上最大となる陸海空あわせて10万人規模の災害派遣を指示した。5日後の18日には10万人を超える態勢となり、最大時で約10万7千人規模の派遣となった<ref>{{Cite report |author= |authorlink= |coauthors= |date= |title= 平成24年版 防衛白書|url= http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2012/2012/html/n3131000.html|publisher= 防衛省|accessdate= 2012-9-12|}}</ref><ref>{{Cite web |author=谷田邦一|date= 2011-03-20|url= http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2011032000009.html|title= 東日本大震災、史上最大の自衛隊作戦|publisher= 朝日新聞社|accessdate=2012-09-12}}</ref>。
 
===== 福島第一原子力発電所事故 =====
{{See also|福島第一原子力発電所事故#日本政府の対応}}
 
; 現地視察
[[3月12日]]午前3時、東京電力からの、1号機の格納容器の破裂を避けるために炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げる[[爆破弁#区別すべき他の概念|ベント]]作業の実施の依頼に対して、官邸は東京電力に、{{要出典範囲|枝野官房長官(当時)らが、国民に広報するまで待つことを指示した上で、|date=2014年8月}}許可を出した。<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>そして、現地の状況が十分に把握できないことから、菅直人首相自身が、ベント実施に並行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、同日7時11分、菅が事故現場にカメラマンらとともに到着した<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたこと、また東電から官邸への情報通達が行われないなどの情報錯そうもありベントの作業は難航しており、菅の到着した時間になっても未だベント操作が行われていなかったため、到着した菅は当時福島第一原子力発電所所長であった吉田昌郎に直接説明を求めた。結局ベントは同日14時30分にようやく実施された<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01cpd2m Inside the Meltdown] - [[英国放送協会|英BBC]]</ref>。
 
[[ファイル:2011.3.18日本内閣総理大臣菅直人会見国際原子力機関事務局長天野之弥 Japanese Prime Minister Naoto Kan talks with IAEA Director General Yukiya Amano.jpg|thumb|200px|3月18日菅直人首相会見[[国際原子力機関]]事務局長[[天野之弥]]]]
; 東電本社乗り込み
事故から4日後の3月15日早朝、[[東京電力]]本社に乗り込み、ここを統合対策本部として東京電力の幹部たちを叱咤した<ref>『朝日新聞』2011年3月18日</ref>。なお、当時官房長官を務めた枝野幸男や経産相の海江田万里など当時の政府関係者は、この行動は東電の[[清水正孝]]社長(当時)から「作業員を同原発から全面撤退させたい」との意向が官房長官や経産相を通して伝えられたことを受けたものであると証言している<ref>{{cite news
| url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110907-OYT1T01246.htm
| title = 前首相の東電乗り込み、危急存亡の理由が
| newspaper = 読売新聞
| date = 2011-09-08
| accessdate = 2011-09-19
}}</ref>が、東電側は一部の作業員の撤退と説明しており両者の説明が食い違っている<ref>{{cite news
| url = http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201205170623.html
| title = 海江田氏「東電、全員撤退と認識」 国会事故調で証言
| newspaper = 朝日新聞
| date = 2012-05-17
| accessdate = 2012-06-05
}}</ref>。また、菅はこのとき「被害が甚大だ。このままでは日本国滅亡だ」「撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/47topics/e/226717.php | title = 【死んだっていい 俺も行く】原発危機的状況に前首相 東電が発言詳細記録 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2012-03-15 | accessdate = 2014-06-07 }}</ref>などの発言をしている。
 
; 最悪シナリオの作成
3月25日、菅は[[内閣府]][[原子力委員会|原子力委員長]][[近藤駿介 (工学者)|近藤駿介]]に「最悪シナリオ」作成を指示した。作成された内容は、半径170km以内で強制移住、東京都の大部分を含む半径250km以内で避難が必要となる可能性があることを指摘した内容<ref>詳細は[[福島第一原子力発電所事故#最悪のシナリオ〔170 kmに及ぶ避難区域の拡大予測〕の公開|当該項目]]を参照</ref>で<ref>東京新聞 2012年1月12日</ref>、過度な混乱を避けるため2012年2月まで公表されなかった。近藤は「最悪事態を想定したことで、冷却機能の多重化などの対策につながったと聞いている」と話している<ref>毎日新聞 2011年12月24日</ref>。
 
[[ファイル:PM Kan visits JSDF and service members at Ishanomaki High School Image 2 of 6.jpg|thumb|200px|4月10日[[陸上自衛隊]]於宮城県石巻商業高等学校]]
[[ファイル:日本内閣総理大臣菅直人在G8主要国首脳会議 Japanese Prime Minister Naoto Kan at press conference during the 37th G8 summit in Deauville, France..jpg|thumb|200px|2011.5.27菅直人在G8[[主要国首脳会議]]]]
; 官房参与の増員
菅は事故対応をめぐり、東京電力や原子力安全・保安院、[[原子力安全委員会]]へ強い不信感を募らせ、「セカンドオピニオンも重要」として[[内閣官房参与]]を次々に増員し、依存を強めていったといわれている<ref name="乱立">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110410-OYT1T00366.htm|title=本部や会議が乱立…指揮系統、官僚も「不明」|newspaper=読売新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10|author=吉村隆平、鎌田秀男}}</ref><ref>{{Cite news|author=影山哲也|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110330ddm005010167000c.html|title=菅首相:内閣官房参与、続々任命 東電、経産省へ不信感|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10}}</ref>。他方、組織が乱立したことによる混乱も見られた。内閣官房参与の[[小佐古敏荘]]が辞任した問題では、菅が小佐古と面識がなく任命に際して事前の面談が行われなかったことが発覚、慰留が[[細野豪志]]補佐官に丸投げされていたことが批判された<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110502-OYT1T01005.htm|title=任命時は面談せず辞任時は人任せ…首相を批判|newspaper=読売新聞|date=2011-05-02|accessdate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110503/plc11050300300001-n1.htm |title=小佐古氏と面識なく参与に任命 参院予算委で首相|newspaper=産経新聞|date=2011-05-03|accessdate=2011-05-04}}</ref>。
; 感謝広告
2011年4月11日、東日本大震災に対する義捐への感謝広告を[[菅直人]]首相名義で、米国、英国、韓国、中国、ロシア、フランスの6カ国7紙の新聞に掲載した。最大規模の支援を行った[[台湾]]([[中華民国]])については外交関係が無いことから掲載を行わなかったが、実質的な在台湾の日本大使館として機能している[[財団法人交流協会]]を通じて[[馬英九]]総統、[[呉敦義]]行政院長、楊進添・外交部長に対し感謝状を送った<ref>[http://www.j-cast.com/2011/04/12092867.html?p=2 菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由]JCAST2011年4月12日</ref><ref>[http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=123364 馬・総統、菅首相の感謝状に「台湾の愛は誇り」]Radio Taiwan International2011年4月11日</ref>。当初、広告は予算の関係で上記6カ国7紙にとどまっていたが、無料で受け入れる新聞が増加したことにより31カ国・地域の105紙に掲載された<ref>[http://megalodon.jp/2011-0415-2212-33/sankei.jp.msn.com/politics/news/110415/plc11041520360027-n1.htm 首相の感謝広告 世界100紙以上に無料掲載]MSN産経ニュース2011年4月15日</ref>。更に交流協会は、震災から1周年となる2012年3月11日に合わせて1週間に渡り、台湾の全土を対象とするテレビCMや特別番組、新聞広告などを展開した。他の国における日本大使館は、このようなことを行っていない<ref>{{cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/world/news/120310/chn12031020040005-n1.htm
| title = 【3・11から1年】「ありがとう、台湾」テレビや新聞に広告を掲載
| newspaper = MSN産経ニュース
| date = 2012-03-10
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203100008
| title = 震災から1年 あす台湾で一斉に「謝謝台湾」
| newspaper = 中央社日文新聞
| date = 2012-03-10
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://www.afpbb.com/article/economy/2864562/8627950
| title = 日本が台湾主要紙一面に感謝の広告、震災支援で
| newspaper = AFPBB News
| date = 2012-03-11
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120311-OYT1T00515.htm
| title = 巨額義援金の台湾へ感謝の言葉…交流協会がCM
| newspaper = YOMIURI ONLINE(読売新聞)
| date = 2012-03-11
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59496
| title = <東日本大震災>「台湾の人々の友情を日本人は忘れません」
| newspaper = レコードチャイナ
| date = 2012-03-11
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref>。
 
; エネルギー政策の見直し
[[福島第一原子力発電所事故]]を受け、菅は国のエネルギー政策の見直しに乗り出した。5月6日、菅は[[中部電力]][[浜岡原子力発電所]]に対して「([[東海地震]]への)安全確保がなされるまで[[原子炉]]運転を停止するよう」指示を出した<ref>浜岡原発:全面停止へ 東海地震備え、安全対策完成まで 毎日新聞 2011年5月6日</ref>。5月10日には記者会見の中で原発の増設が謳われた従来の[[エネルギー政策基本法|エネルギー基本計画]]を白紙に戻すと宣言し、5月26日、27日に行われた[[第37回主要国首脳会議]](ドーヴィル・サミット)の中では原発の安全性を高めた上での利用と同時に自然エネルギーの割合を「2020年代のできるだけ早い時期に、少なくとも20%を超えるレベルまで」拡大していくと表明した。<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/27G8naigai.html G8ドーヴィル・サミット内外記者会見]</ref>。
 
2011年7月13日に「原発に依存しない社会を目指すべき」<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/07/13/04186381.html 日テレNEWS24]2011年7月13日</ref>と表明し、「原発がない社会=[[脱原発]]」と受け取られ、経済界から批判される一方で[[脱原発]]・[[反原発]]を支持する市民からのTwitterには称賛された<ref name="kango">日本経済新聞 2011年7月21日夕刊</ref>。また「具体策がない」と批判された<ref>{{Cite news
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0713/TKY201107130598.html
|title=首相、会見で脱原発の方向打ち出す 具体策は示さず
|newspaper=朝日新聞
|date=2011-7-13
|accessdate=2011-9-19
}}</ref><ref>{{cite news|url=http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000001108290005|title=菅首相退陣表明 脱原発どうなる|newspaper=朝日新聞|date=2011-08-27|accessdate=2011-08-31}}</ref><ref name="name">[[ルモンド]] 2011年7月15日付</ref>。翌日の予算委員会において、野党から追及を受けると、「個人的な思いを言っただけだ」と一旦トーンダウンしたが、その後8月6日に[[広島市]]で行われた[[記者会見]]の中で「脱原発依存」は、政府の方針となっているとの認識を示した<ref>{{Cite news
|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20110806162429161_ja
|title=脱原発依存を表明 首相、安全神話「反省」
|newspaper=中国新聞
|date=2011-8-6
|accessdate=2012-8-9}}</ref>。
 
==== 菅おろし ====
[[ファイル:日本内閣総理大臣菅直人在G8主要国首脳会議 Japanese Prime Minister Naoto Kan at press conference during the 37th G8 summit in Deauville, France..jpg|thumb|200px|2011.5.27菅直人在G8[[主要国首脳会議]]]]
{{Main|菅おろし}}
菅は震災の発生を機に[[ねじれ国会|国会のねじれ]]を解消し、復興対策を円滑に進めるため、自民党に対し[[大連立]]を打診したが、不発に終わった<ref>{{cite news |title=菅首相:自民党に大連立打診、東日本大震災対策で-谷垣氏は拒否(1) |newspaper=ブルームバーグジャパン |date=2011-03-19 |url=http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920019&sid=aLkefzfICJJM |accessdate=2011-06-20}}</ref><ref>自民党・谷垣総裁 大連立をあらためて否定 [[日本テレビ放送網|日本テレビ]] 2011年4月7日</ref>。さらに2011年4月の統一地方選で与党が敗北するなど、与党・民主党内でも菅政権に対する不満が募り、小沢一郎を中心とする民主党一部勢力が「[[菅おろし]]」への動きを活発化させるようになる。<ref>小沢氏「菅降ろし」でゴーサインか 小沢派決起へ MSN産経ニュース 2011年4月11日</ref>
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}}</ref>。
 
7月6日に菅は「辞める、退陣するという言葉を私自身、使ったことはない」と述べた<ref>[http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-22056620110706 ロイター]2011年7月6日</ref>。この頃の[[世論調査]]では政権発足後最低の支持率を記録した<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/07/11/04186168.html 日テレNEWS24]2011年7月11日</ref><ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011071400906 時事ドットコム]2011年7月14日</ref>。<!--7月15日には[[2011 FIFA女子ワールドカップ|FIFA女子ワールドカップ ドイツ大会]]で決勝戦に進出した[[サッカー女子日本代表|サッカー女子日本代表『なでしこジャパン』]]の応援のため強行日程での現地観戦を菅は検討したが、政府専用機の利用で数千万円の経費がかかるなどの理由で断念した<ref>読売新聞 7月16日(土) [http://web.archive.org/20110718004605/www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110716-OYT1T00086.htm 記事]</ref>。-->
 
2011年8月26日、菅は退陣の条件としていた3法案の成立を受け、「本日をもって民主党代表を辞任し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞する」と辞任を表明した。「厳しい環境のもとでやるべきことはやった。一定の達成感を感じている。国民の皆さんのおかげ。私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい」と述べた。[[福島第一原発事故]]について「総理としての力不足、準備不足を痛感した」と振り返った<ref>朝日新聞2011年8月27日、asahi.com2011年8月26日</ref>。8月29日、前年11月に起こった[[延坪島砲撃事件]]を受けて凍結していた朝鮮学校に対する[[高校授業料無償化・就学支援金支給制度|高校授業料無償化]]適用審査手続きの再開を[[高木義明]]文部科学大臣に指示し<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110829-OYT1T00610.htm YOMIURIONLINE]2011年8月29日</ref>、同日行われた民主党代表選では、後任の総理大臣には菅の下で財務大臣を務めた[[野田佳彦]]が選出された。
497 ⟶ 415行目:
 
; 外交・安全保障
[[ファイル:Naoto Kan and Barack Obama 20100627 3.jpg|thumb|200px|[[2010年]][[6月27日]]、日米首脳会談後の記者会見にて[[アメリカ合衆国]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[バラク・オバマ]](右)と]]
[[ファイル:2010.6.27日本内閣総理大臣菅直人会見大韓民国大統領李明博 Japanese Prime Minister Naoto Kan meets with Republic of Korea President Lee Myung-bak.jpg|thumb|200px|会見[[大韓民国]]大統領[[李明博]]]]
*[[日本における外国人参政権]]については、「(地方に関する付与は)憲法上は禁止されていない」としながらも、「安全保障上の問題も含め、様々な意見があることは承知しており、各党各会派で、しっかり議論していくことが必要だ」とも述べ慎重姿勢を見せている<ref>菅首相、「安全保障上の問題ふくめ意見ある」 外国人参政権は慎重に議論を [[産経新聞]][http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101006/plc1010061948019-n1.htm]</ref>。外国人観光客を増加させるため、厳しい入国管理を改めなければならないと、2010年2月22日の衆議院予算委員会で見解を示している。
 
509 ⟶ 428行目:
<!--* 国際社会における[[中国]]の地位向上を望んでおり、[[G8]]サミットにおいて、中国のG8参加を提案した(G8諸国からは「先進国間の意思疎通の場として維持すべきだ」と退けられている){{要出典}}。-->
 
;戦後処理
*2010年8月、[[日韓併合]]100周年に関する総理談話を発表したが、「謝罪」ではなく「お詫び」という言葉を使用したため韓国側の反発を買った<ref>[http://japanese.joins.com/article/125/158125.html?servcode=A00&sectcode=A10 支持率最悪の野田首相、外交で賭け…書簡返送と受け取り拒否] 中央日報 2012年08月24日</ref>。また、この談話に沿って韓国政府との間に[[植民地]]時代に日本へ渡った[[朝鮮半島]]由来の「[[朝鮮王朝儀軌]](ぎき)」などを韓国へ引き渡す[[図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定|日韓図書協定]]が結ばれ、[[野党]]自民党だけでなく、民主党からも賛否両論を引き起こした。
 
*総理大臣在任中に[[太平洋戦争]]の激戦地である[[硫黄島]]での遺骨収集に関し、「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」の設置を指示し、政府の遺骨帰還事業を本格的にスタートさせた。
 
== 言動と評価と発言 ==
評価については以下のように毀誉褒貶が著しく、特に首相時代に対して多い。
 
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=== 政治家として ===
自身の政治哲学である「最小不幸社会」について「恋愛とか、あるいは自分の好きな絵を描くとか、そういうところにはあまり政治が関与すべきではなくて、逆に貧困、あるいは戦争、そういったことを無くすことにこそ政治が力を尽くすべきだ」と述べている。また、「最小不幸社会」は高校時代に読んだ[[オルダス・ハクスリー]]の『[[すばらしい新世界]]』の影響を受けたものであると語っている<ref>{{Cite web
|url=http://www.dot-jp.or.jp/mm/interview/jpi/12/
|title=Japan Producer インタビューvol.12 菅 直人 衆議院議員
|publisher=[[ドットジェイピー (NPO)|NPO法人ドットジェイピー]]
|accessdate= 2010-1-7
}}</ref>。
; 野党時代
*菅が社民連所属新人議員時代に、先輩議員にあたる[[田英夫]]の求めに応じ、在日韓国人政治犯29名の釈放の要望書<ref>[[学園浸透スパイ団事件]]参照</ref>に署名したが、この中に[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致]]の実行犯である[[辛光洙]]を始めとする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[スパイ]]容疑者10名が含まれており、批判・追及を受けた<ref>[[辛光洙#在日韓国人政治犯釈放の要望書について]]参照</ref>。
* [[中尾則幸]]は[[1998年]][[第18回参議院議員通常選挙]]で当初は[[北海道選挙区]]から出馬を希望していたが、定数8から4(改選議席4から2)に変更されたことで92年初当選同期の現職[[峰崎直樹]]に同候補の座を奪われ比例区へ転出。さきがけ時代からの同志で中尾の後見人的存在であった幹事長代理鳩山由紀夫が代表の菅に「くれぐれも、犠牲を払った中尾君が再選出来るように宜しく頼む」と上位にランクするように依頼したが結果は当選圏外。それ以後の鳩山は菅に対して不信感を露わにし、(中尾の友人)で[[ジャーナリスト]]の[[ばばこういち]]にまで吐露した。
*2007年1月、[[柳澤伯夫]][[厚生労働大臣]]の「産む機械」発言が政治問題化した際、代表代行として批判した。しかし、2月6日、[[自由民主党|自民党]][[中川秀直]][[自由民主党幹事長|幹事長]]によって、「[[東京]]は日本で一番[[生産性]]の低い大都市。何の生産性か、それは子どもの出生率において…」という民主党大会([[2007年]][[1月]])における菅の演説が中川のホームページで取り上げられ、「出生率と生産性を結びつけるということは、[[出産]]と[[機械]]が結びつくことではないのか」と反撃された。翌日、[[公明党]]議員からも同様の発言<ref>[[名古屋市]]内での演説(2007年1月18日)、[[山陰中央新報]]のインタビュー(2006年8月5日)における同様の発言</ref>を非難された。菅は「12月の衆議院[[本会議]]で同様の趣旨の発言をしているので議事録を読んでください」「生産性のいい[[景気]]のいい[[地域]]では、出生率の点では低いところが多い」と弁明した後、自身のホームページで「[[広辞苑]]によれば、[[生産]]という言葉には出産という意味がある」と反論した。
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=== 東日本大震災、福島原発事故への対応と評価 ===
[[ファイル:PM Kan visits JSDF and service members at Ishanomaki High School Image 2 of 6.jpg|thumb|200px|2011年4月10日[[陸上自衛隊]]於宮城県石巻商業高等学校]]
;初動対応
; 初動対応
当時の[[野党]]は、菅が震災翌日に福島原発を視察する「政治的パフォーマンス」を行ったことで事故対応の初動に遅れが生じたと批判していた<ref name="答弁">「首相 反論また反論 歴代政権に責任転嫁も」『日本経済新聞』2011年3月30日付朝刊、13版、4面。</ref>が、吉田は菅の視察による作業への影響は全くなかったと聴取で答えている<ref>[http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/detail/2014/0830_yoshida_chousho.html福島第1原発・吉田昌郎元所長の「聴取結果書」要旨] - 東奥日報</ref>。菅は総理辞任後に[[日本放送協会|NHK]]が行ったインタビューの中で、原発事故の初動対応でベントが遅れた理由として、「一つは技術的に放射線量が高いとか、暗いとか、いろいろな資材が足りないとかで作業ができなかったことは十分あり得る。もう一つは、当時東京電力の最高責任者の2人が事故が発生した11日の段階で本店におらず、そういうことが影響したのかもしれない」と述べている<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110912/1430_kanzensyusho.html 菅前首相 原発事故を語る(NHKニュース 9月12日 6:15更新)]</ref>。官房長官だった枝野幸男はこの視察に関し「首相を守る観点からは体を張ってでも止めるべきだったが、事故をいかに小さく、早く収束させるかという観点からは間違っていなかった」と擁護している<ref>2012年3月1日の衆院予算委員会。 2012年3月2日 時事通信</ref>。当時経済産業相だった[[海江田万里]]は「原子力緊急事態宣言」の発令を求めたが、菅の了解を得るのに手間取ったと証言、これにより政府の初動対応が遅れたと証言している<ref>読売新聞 5月17日(木)21時27分配信 初動遅れ「菅氏説得に時間かかった」…海江田氏</ref>。これに対し菅は「もっと早ければという指摘は受け止めるが、首相官邸の対策室はすでに動いており結果的に支障はなかった」と釈明した<ref>{{cite news
政府の初動対応について当時経済産業相だった[[海江田万里]]は「原子力緊急事態宣言」の発令を求めたが、菅の了解を得るのに手間取ったと証言、これにより政府の初動対応が遅れたと証言している<ref>読売新聞 5月17日(木)21時27分配信 初動遅れ「菅氏説得に時間かかった」…海江田氏</ref>。これに対し菅は「もっと早ければという指摘は受け止めるが、首相官邸の対策室はすでに動いており結果的に支障はなかった」と釈明した<ref>{{cite news
| url = http://www.nikkei.com/article/DGXDASFS2801V_Y2A520C1MM8000/
| title = 菅前首相、原発事故「国の責任」 視察批判に反論
577 ⟶ 503行目:
| date = 2012-05-17
| accessdate = 2012-06-05
}}</ref>。
 
;現地視察
[[3月12日]]午前3時、東京電力からの、1号機の格納容器の破裂を避けるために炉心から大気中への排気を行い、原子炉格納容器の内部圧力を下げる[[爆破弁#区別すべき他の概念|ベント]]作業の実施の依頼に対して、官邸は東京電力に、{{要出典範囲|枝野官房長官(当時)らが、国民に広報するまで待つことを指示した上で、|date=2014年8月}}許可を出した。<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>そして、現地の状況が十分に把握できないことから、菅直人首相自身が、ベント実施に並行して事故現場の福島第一原発を視察することを決定し、同日7時11分、菅が事故現場にカメラマンらとともに到着した<ref>官房長官発表平成23年3月12日(土)午前</ref>。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたこと、また東電から官邸への情報通達が行われないなどの情報錯そうもありベントの作業は難航しており、菅の到着した時間になっても未だベント操作が行われていなかったため、到着した菅は当時福島第一原子力発電所所長であった吉田昌郎に直接説明を求めた。結局ベントは同日14時30分にようやく実施された<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01cpd2m Inside the Meltdown] - [[英国放送協会|英BBC]]</ref>。
 
当時の[[野党]]は、菅が震災翌日に福島原発を視察する「政治的パフォーマンス」を行ったことで事故対応の初動に遅れが生じたと批判していた<ref name="答弁">「首相 反論また反論 歴代政権に責任転嫁も」『日本経済新聞』2011年3月30日付朝刊、13版、4面。</ref>。官房長官だった枝野幸男はこの視察に関し「首相を守る観点からは体を張ってでも止めるべきだったが、事故をいかに小さく、早く収束させるかという観点からは間違っていなかった」と擁護し<ref>2012年3月1日の衆院予算委員会。 2012年3月2日 時事通信</ref>、後日行われた[[吉田調書|事故調査・検証委員会による聴取]]では吉田は菅の視察による作業への影響は全くなかったと答えている。<ref>[http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/detail/2014/0830_yoshida_chousho.html 福島第1原発・吉田昌郎元所長の「聴取結果書」要旨] - 東奥日報</ref>。菅は総理辞任後に[[日本放送協会|NHK]]が行ったインタビューの中で、原発事故の初動対応でベントが遅れた理由として、「一つは技術的に放射線量が高いとか、暗いとか、いろいろな資材が足りないとかで作業ができなかったことは十分あり得る。もう一つは、当時東京電力の最高責任者の2人が事故が発生した11日の段階で本店におらず、そういうことが影響したのかもしれない」と述べている<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110912/1430_kanzensyusho.html 菅前首相 原発事故を語る(NHKニュース 9月12日 6:15更新)]</ref>。
 
; 東電本社乗り込み
事故から4日後の3月15日早朝、[[東京電力]]本社に乗り込み、ここを統合対策本部として東京電力の幹部たちを叱咤した<ref>『朝日新聞』2011年3月18日</ref>。なお、当時官房長官を務めた枝野幸男や経産相の海江田万里など当時の政府関係者は、この行動は東電の[[清水正孝]]社長(当時)から「作業員を同原発から全面撤退させたい」との意向が官房長官や経産相を通して伝えられたことを受けたものであると証言している<ref>{{cite news
| url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110907-OYT1T01246.htm
| title = 前首相の東電乗り込み、危急存亡の理由が
| newspaper = 読売新聞
| date = 2011-09-08
| accessdate = 2011-09-19
}}</ref>が、東電側は一部の作業員の撤退と説明しており両者の説明が食い違っている<ref>{{cite news
| url = http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201205170623.html
| title = 海江田氏「東電、全員撤退と認識」 国会事故調で証言
| newspaper = 朝日新聞
| date = 2012-05-17
| accessdate = 2012-06-05
}}</ref>。また、菅はこのとき「被害が甚大だ。このままでは日本国滅亡だ」「撤退したら東電は百パーセントつぶれる。逃げてみたって逃げ切れないぞ」「60になる幹部連中は現地に行って死んだっていいんだ。俺も行く」<ref>{{Cite news | url = http://www.47news.jp/47topics/e/226717.php | title = 【死んだっていい 俺も行く】原発危機的状況に前首相 東電が発言詳細記録 | agency = [[共同通信社]] | publisher = [[47NEWS]] | date = 2012-03-15 | accessdate = 2014-06-07 }}</ref>などの発言をしている。
 
; 最悪シナリオの作成
3月25日、菅は[[内閣府]][[原子力委員会|原子力委員長]][[近藤駿介 (工学者)|近藤駿介]]に「最悪シナリオ」作成を指示した。作成された内容は、半径170km以内で強制移住、東京都の大部分を含む半径250km以内で避難が必要となる可能性があることを指摘した内容<ref>詳細は[[福島第一原子力発電所事故#最悪のシナリオ〔170 kmに及ぶ避難区域の拡大予測〕の公開|当該項目]]を参照</ref>で<ref>東京新聞 2012年1月12日</ref>、過度な混乱を避けるため2012年2月まで公表されなかった。近藤は「最悪事態を想定したことで、冷却機能の多重化などの対策につながったと聞いている」と話している<ref>毎日新聞 2011年12月24日</ref>。
 
; 官房参与の増員
菅は事故対応をめぐり、東京電力や原子力安全・保安院、[[原子力安全委員会]]へ強い不信感を募らせ、「セカンドオピニオンも重要」として[[内閣官房参与]]を次々に増員し、依存を強めていったといわれている<ref name="乱立">{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110410-OYT1T00366.htm|title=本部や会議が乱立…指揮系統、官僚も「不明」|newspaper=読売新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10|author=吉村隆平、鎌田秀男}}</ref><ref>{{Cite news|author=影山哲也|url=http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110330ddm005010167000c.html|title=菅首相:内閣官房参与、続々任命 東電、経産省へ不信感|newspaper=毎日新聞|date=2011-04-10|accessdate=2011-04-10}}</ref>。他方、組織が乱立したことによる混乱も見られた。内閣官房参与の[[小佐古敏荘]]が辞任した問題では、菅が小佐古と面識がなく任命に際して事前の面談が行われなかったことが発覚、慰留が[[細野豪志]]補佐官に丸投げされていたことが批判された<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110502-OYT1T01005.htm|title=任命時は面談せず辞任時は人任せ…首相を批判|newspaper=読売新聞|date=2011-05-02|accessdate=2011-05-04}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110503/plc11050300300001-n1.htm |title=小佐古氏と面識なく参与に任命 参院予算委で首相|newspaper=産経新聞|date=2011-05-03|accessdate=2011-05-04}}</ref>。
 
; 感謝広告
2011年4月11日、東日本大震災に対する義捐への感謝広告を[[菅直人]]首相名義で、米国、英国、韓国、中国、ロシア、フランスの6カ国7紙の新聞に掲載した。最大規模の支援を行った[[台湾]]([[中華民国]])については外交関係が無いことから掲載を行わなかったが、実質的な在台湾の日本大使館として機能している[[財団法人交流協会]]を通じて[[馬英九]]総統、[[呉敦義]]行政院長、楊進添・外交部長に対し感謝状を送った<ref>[http://www.j-cast.com/2011/04/12092867.html?p=2 菅首相の「謝意」各国の新聞に掲載 100億義援金の台湾除いた理由]JCAST2011年4月12日</ref><ref>[http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=123364 馬・総統、菅首相の感謝状に「台湾の愛は誇り」]Radio Taiwan International2011年4月11日</ref>。当初、広告は予算の関係で上記6カ国7紙にとどまっていたが、無料で受け入れる新聞が増加したことにより31カ国・地域の105紙に掲載された<ref>[http://megalodon.jp/2011-0415-2212-33/sankei.jp.msn.com/politics/news/110415/plc11041520360027-n1.htm 首相の感謝広告 世界100紙以上に無料掲載]MSN産経ニュース2011年4月15日</ref>。更に交流協会は、震災から1周年となる2012年3月11日に合わせて1週間に渡り、台湾の全土を対象とするテレビCMや特別番組、新聞広告などを展開した。他の国における日本大使館は、このようなことを行っていない<ref>{{cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/world/news/120310/chn12031020040005-n1.htm
| title = 【3・11から1年】「ありがとう、台湾」テレビや新聞に広告を掲載
| newspaper = MSN産経ニュース
| date = 2012-03-10
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://japan.cna.com.tw/Detail.aspx?Type=Classify&NewsID=201203100008
| title = 震災から1年 あす台湾で一斉に「謝謝台湾」
| newspaper = 中央社日文新聞
| date = 2012-03-10
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://www.afpbb.com/article/economy/2864562/8627950
| title = 日本が台湾主要紙一面に感謝の広告、震災支援で
| newspaper = AFPBB News
| date = 2012-03-11
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120311-OYT1T00515.htm
| title = 巨額義援金の台湾へ感謝の言葉…交流協会がCM
| newspaper = YOMIURI ONLINE(読売新聞)
| date = 2012-03-11
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59496
| title = <東日本大震災>「台湾の人々の友情を日本人は忘れません」
| newspaper = レコードチャイナ
| date = 2012-03-11
| accessdate = 2012-07-09
}}</ref>。
 
584 ⟶ 569行目:
森はこの問題をその後も追及し、原発事故のベント作業が行われたとき、SPEEDIの予測データを住民の避難に役立てようとせず、被曝を拡大させたとした。菅政権は「予測図を作成したが、仮の数値に基づく予測で不正確」との理由で非公開にしたと答弁。しかし、訓練マニュアルには「放射性物質の単位量放出を仮定して拡散予測計算を行い、その結果を関係機関に配信」と明記されており、ベントまで8時間の余裕があったにもかかわらず住民への避難勧告を出すなどの、適切な対応を菅政権が怠った結果、子供達が深刻な被曝を受けた点を追及された<ref>「住民に被ばく強いた」と、[[東京新聞]]2011年10月6日の特報面「ニュースの追跡」で報じられた。[[産経新聞]]2011年10月4日に、福島の子供10人の甲状腺機能が変化していることを、[[信州大学医学部附属病院|信州大病院]]の調査チームが確認したと報じられた。</ref>。
 
; エネルギー政策の見直し
[[福島第一原子力発電所事故]]を受け、菅は国のエネルギー政策の見直しに乗り出した。5月6日、菅は[[中部電力]][[浜岡原子力発電所]]に対して「([[東海地震]]への)安全確保がなされるまで[[原子炉]]運転を停止するよう」指示を出した<ref>浜岡原発:全面停止へ 東海地震備え、安全対策完成まで 毎日新聞 2011年5月6日</ref>。5月10日には記者会見の中で原発の増設が謳われた従来の[[エネルギー政策基本法|エネルギー基本計画]]を白紙に戻すと宣言し、5月26日、27日に行われた[[第37回主要国首脳会議]](ドーヴィル・サミット)の中では原発の安全性を高めた上での利用と同時に自然エネルギーの割合を「2020年代のできるだけ早い時期に、少なくとも20%を超えるレベルまで」拡大していくと表明した。<ref>[http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201105/27G8naigai.html G8ドーヴィル・サミット内外記者会見]</ref>。
 
2011年7月13日に「原発に依存しない社会を目指すべき」<ref>[http://www.news24.jp/articles/2011/07/13/04186381.html 日テレNEWS24]2011年7月13日</ref>と表明し、「原発がない社会=[[脱原発]]」と受け取られ、経済界から批判される一方で[[脱原発]]・[[反原発]]を支持する市民からのTwitterには称賛された<ref name="kango">日本経済新聞 2011年7月21日夕刊</ref>。また「具体策がない」と批判された<ref>{{Cite news
|url=http://www.asahi.com/politics/update/0713/TKY201107130598.html
|title=首相、会見で脱原発の方向打ち出す 具体策は示さず
|newspaper=朝日新聞
|date=2011-7-13
|accessdate=2011-9-19
}}</ref><ref>{{cite news|url=http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000001108290005|title=菅首相退陣表明 脱原発どうなる|newspaper=朝日新聞|date=2011-08-27|accessdate=2011-08-31}}</ref><ref name="name">[[ルモンド]] 2011年7月15日付</ref>。翌日の予算委員会において、野党から追及を受けると、「個人的な思いを言っただけだ」と一旦トーンダウンしたが、その後8月6日に[[広島市]]で行われた[[記者会見]]の中で「脱原発依存」は、政府の方針となっているとの認識を示した<ref>{{Cite news
|url=http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20110806162429161_ja
|title=脱原発依存を表明 首相、安全神話「反省」
|newspaper=中国新聞
|date=2011-8-6
|accessdate=2012-8-9}}</ref>。
 
==== 評価 ====
; 民間の事故調報告
2012年2月27日に発表された民間の事故調報告([[福島原発事故独立検証委員会]]では、東京電力本店に乗り込んだ件などの言動は東京電力側に「覚悟を迫った」と評価したうえで、事故対応の局面で怒鳴るなど菅の個性が「混乱や摩擦の原因ともなった」「関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面があった」「無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めた。場当たり的で泥縄的な危機管理」「菅の決定や要請がベントの早期実現に役立ったと認められる点はなかった」「官邸の中断要請に従っていれば作業が遅延した可能性がある危険な状況だった」(ただし、中止の指示を出したのは総理大臣の菅ではなく、官邸へ派遣された東京電力フェローの武黒一郎によるものだったと武黒本人が主張している)、「会議で海水注入による再臨界の可能性を菅が強い調子で問いただし再検討を指示していた」と指摘した<ref>{{cite news|title=「菅首相」の原発事故対応に「ゾッとした」 「民間事故調報告」にみる「イラ菅」の功罪|url=http://www.j-cast.com/2012/02/28123686.html?p=all|newspaper=J-CASTニュース|date=2012-02-28|accessdate=2012-04-13}}</ref><ref>「官邸の初動 混乱要因に 民間事故調報告」『毎日新聞』2012年2月28日付朝刊、1面。</ref><ref>{{cite news|title=原発民間事故調の政権聴取報告要旨|url=http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/nucerror/report/list/120229.html|newspaper=東京新聞|date=2012-02-29|accessdate=2013-02-09}}</ref>。同委員会の北沢宏一委員長は、菅の事故対応について「情報の出し方を失敗し、国民の評価を失った。全体としては不合格」と指摘した。<ref>{{cite news|title=民間事故調「菅前首相は不合格」情報提供に失敗|url=http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012022801002080.html|newspaper=共同通信|date=2012-02-28|accessdate=2013-02-09}}</ref>。
 
;国際原子力機関
[[ファイル:2011.3.18日本内閣総理大臣菅直人会見国際原子力機関事務局長天野之弥 Japanese Prime Minister Naoto Kan talks with IAEA Director General Yukiya Amano.jpg|thumb|200px|3月18日菅直人首相会見[[国際原子力機関]]事務局長[[天野之弥]]]]
*[[国際原子力機関]]は日本政府の原発事故後の対応を模範的なものであった評価している。一方で、原発事故の未然対策については不十分であり、日本の原発管理はその構造から見直すべきであるとした<ref>[http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110601-lecons-catastrophe-fukushima Catastrophe de Fukushima: l'AIEA réservée sur la gestion du nucléaire au Japon]</ref>。
[[国際原子力機関]]は日本政府の原発事故後の対応を模範的なものであった評価している。一方で、原発事故の未然対策については不十分であり、日本の原発管理はその構造から見直すべきであるとした<ref>[http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20110601-lecons-catastrophe-fukushima Catastrophe de Fukushima: l'AIEA réservée sur la gestion du nucléaire au Japon]</ref>。
 
; 国会事故調査委員会・政府事故調査委員会
599 ⟶ 602行目:
 
; 国連人権理事会
* 2012年11月26日に国連人権理事会の特別報告者のアナンド・グローバーは、当時の政府の対応の問題点として以下の3点を指摘した。(1)日本政府が被害にあわれた住民の方々に安定ヨウ素剤に関する指示を出さず、配布もしなかったこと、(2)政府が正確な情報を提供して、住民を汚染地域から避難させさせることをせず、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射線量の情報および放射性プルームの動きが直ちに公表されることがなかったこと。(3)避難対象区域は、実際の放射線量ではなく、ホットスポットを無視したものであったこと。<ref>[http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/ 国連人権理事会特別報告者 アナンド・グローバー プレス・ステートメント 2012年11月26日]</ref>。
 
;自民党
*自民党は震災対応に対する指導力不足を指摘し<ref>http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011043002000068.html</ref>、被災者の仮設住宅入居について「何としてもお盆までにすべての希望する人が仮設住宅に入れるように、私の内閣の責任として実行する」と述べたことについて自民党の[[野村哲郎]]は「根拠がない」と批判し<ref>http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110502ddm002040096000c.html</ref>、のちにそれが菅の個人的な目標であったことが明らかになると同党の[[林芳正]]は「リーダー失格」と批判した<ref>http://web.archive.org/20110505001630/mainichi.jp/select/seiji/news/20110502k0000e010062000c.html</ref>。
 
; 当時の閣僚による評価
628 ⟶ 631行目:
:ドイツの[[第2ドイツテレビ]](ZDF)は東電幹部、作業員、原子力工学者などに対するインタビューや現地調査、[[河野太郎]]、[[佐藤栄佐久]]などの他、菅直人自身にもインタビューを行って作成した日本の原子力事情や危機管理、福島第一原発事故を巡る一連のドキュメンタリー報道の中で、菅の対応は、原子力危機に対する危機管理が整備されていない状態でできること中では十分なものであったと評価した。また日本の政界、財界、産業界、マスコミには総理大臣すらコントロールできない[[原子力村]]と呼ばれる巨大なネットワークが存在すると指摘しており、原発事故後に然したる確証も無いままにマスコミが行った菅に対するネガティブ報道を行ったことや、政界で菅おろしの動きが急速に広まったことについても、菅が原子力行政をめぐって原子力村と真っ向から対立したことが大きな原因であるとしている<ref>[http://www.zdf.de/ZDFmediathek/#/beitrag/video/1406700/Die-Folgen-von-Fukushima Die Folgen von Fukushima]</ref><ref>[http://www.zdf.de/ZDFmediathek/#/beitrag/video/1528440/Japans-Trag%C3%B6die:-Risikophilosophie Japans Trago"die: Risikophilosophie]</ref><ref>[http://www.zdf.de/ZDFmediathek/#/beitrag/video/1576888/Die-Fukushima-L%C3%BCge Die Fukushima Lu"ge] - 「マスコミでは彼(菅)を辞任に追い込もうと嘘の情報がばら撒かれた。首相である彼が[[原子力村]]」と対立していたからである」</ref>。
:イギリスの[[英国放送協会|BBC]]は原子力事故に関して作成したドキュメンタリー「Inside the Meltdown」の中で当時の東京電力の対応を強く批判する一方で、菅の対応は最善とはいえないが、それなりに高く評価はできるとした。<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01cpd2m Inside the Meltdown] - </ref>。
 
=== 辛光洙釈放署名問題 ===
{{seealso|学園浸透スパイ団事件}}
ほかに疑義が持たれた言動として、菅が社民連所属新人議員時代に、先輩議員にあたる[[田英夫]]の求めに応じ、在日韓国人政治犯29名の釈放の要望書に署名したが、この中に[[北朝鮮による日本人拉致問題|北朝鮮による日本人拉致]]の実行犯である[[辛光洙]]を始めとする[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[スパイ]]容疑者10名が含まれており、批判・追及を受けた<ref>[[辛光洙#在日韓国人政治犯釈放の要望書について]]参照</ref>。
 
== 疑惑、スキャンダルなど ==