「エコー&ザ・バニーメン」の版間の差分

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;転機から解散
ところが、『[[エコー&ザ・バニーメン (アルバム)|エコー&ザ・バニーメン]]』(1987)の発表後、ボーカリストのマッカロクがソロキャリアを追求するためにバンドを脱退。[[1989年]]には、ドラマーのデ・フレイタスがバンドの練習に向かう途中でオートバイ事故に遭い死亡するという悲劇が起きる。残されたメンバーのサージェントとパティンソンは、リードシンガーとしてノエル・バークを、ドラマーとしてデイモン・リースを、キーボーディストとしてジェイク・ブロックマンを参加させ活動を継続。新体制で『[[リヴァーバレーション]]』(1990)をリリースしたが評論家には酷評され、マッカロクからも「Echo & the Bogusmen (偽者ども)」と揶揄される。商業的にも失敗に終わり、バンドは1993年5月に解散した。
 
;再結成から現在
二枚のソロアルバムを発表した後、マッカロックは[[1994年]]に新プロジェクト・[[エレクトラフィクション]]で再びサージェントと手を組む。その後、[[1997年]]にマッカロクとサージェントはパティンソンと一緒にエコー&ザ・バニーメンを再始動させ、新作シングル"Nothing Lasts Forever"はイギリスでトップ10に入った。復帰作となるアルバム『[[エヴァーグリーン (エコー&ザ・バニーメンのアルバム)|エヴァーグリーン]]』(1997)は批評家に熱狂的に受け入れられ、彼らはライブアリーナへ華やかに舞い戻ってきた。その後パティンソンが2度目の脱退をしたが、マッカロクとサージェントは新たにメンバーを加え活動を続け、『[[ウィズ・ユア・ライフ]]』(1999)、『[[フラワーズ (エコー&ザ・バニーメンのアルバム)|フラワーズ]]』(2001)、『[[サイベリア]]』(2005)、『[[ザ・ファウンテイン]]』(2009)とコンスタントにアルバムを発表。また、[[2003年]]には久しぶりに来日、[[2005年]]には[[サマーソニック]]に参加するなど、精力的にツアー活動も行っている。
 
2014年、5年振りとなる通算12枚目のスタジオ・アルバム『[[メテオライツ]]』をイギリスで[[429レコード]]/キャロライン・インターナショナルより4月28日にリリースした<ref>{{cite web