「京阪神」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2010年2月}}
{{Pathnav|世界|アジア|東アジア|日本|近畿地方|frame=1}}
 
{{Infobox
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== 歴史 ==
{{右|
[[ファイル:Heijokyo Suzakumon 05.JPG|thumb|200px|right|[[奈良市|奈良]]・[[朱雀門]]]]
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[[ファイル:Kiyomizudera sakra01.jpg|thumb|200px|right|京都・[[清水寺]]]]
[[ファイル:Heijokyo Suzakumon 05.JPG|thumb|200px|right|[[奈良市|奈良]]・[[朱雀門]]]]
[[ファイル:Osaka Castle 03bs3200.jpg|thumb|200px|right|大阪・[[大阪城|大阪城(大坂城)]]]]
[[ファイル:KobeKiyomizudera kaigandori04bs5s3200sakra01.jpg|thumb|200px|right|神戸京都・[[旧居留地#神戸|旧居留地海岸通]]清水寺]]
[[ファイル:Osaka Castle 03bs3200.jpg|thumb|200px|right|大阪・[[大阪城|大阪城(大坂城)]]]]
ファイル:Kobe kaigandori04bs5s3200.jpg|神戸・[[旧居留地#神戸|旧居留地海岸通]]
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}}
{{See also|近畿地方#歴史|奈良県#歴史|京都#歴史|大阪市#歴史}}
[[古代]]には、[[奈良盆地]]に[[天皇]](大君)がその在所を置くことが多く(→[[日本の首都]])、その場合には[[港|外港]]にあたる現在の[[堺市]]に向かう[[長尾街道|大津道]]・[[竹内街道|丹比道]]などで両者は結ばれていた。他方、[[外交]]が重視される時期や、奈良盆地の既存勢力と距離を置きたい場合には、[[日本海]]-[[若狭湾]]-[[琵琶湖]]-[[淀川]]-[[大阪湾]]-[[瀬戸内海]]の内陸水系物流ルート沿いの琵琶湖南岸以南に都が置かれた。[[藤原京]]・[[平城京]]・[[平安京]]などの大規模な首都整備、[[豪族]]・[[貴族]]の在地から首都への集住強制、納税や官人の往来のための[[官道]]整備(→[[日本の古代道路]])などにより、[[畿内]]は日本の富が集中する経済地域となっていった。その後、[[公家]]・[[武家]]・[[寺院|寺家]]に権力が分散し、税の畿内集中が弱まることもあったが、[[室町幕府]]や[[南朝 (日本)|南朝]]が置かれたり、[[日明貿易]]により[[神戸港|兵庫津]]や[[堺]]が伸張して富を集めた。[[安土桃山時代]]に入ると[[織田信長]]や[[豊臣秀吉]]が当地に拠点を築いて経済改革を行い、また、[[手伝普請|城普請]]に伴って[[大坂城]]に[[城下町]]が形成され、そして特に秀吉が淀川の改修工事を命じた際に、[[文禄堤]]が建設されたことが大坂と京を結ぶ安定した交通路たる[[京街道 (大坂街道)|京街道]]に結実し<ref>[http://www.yodo-museum.go.jp/kikaku/sp01/s01c.html 文禄堤と京街道] - [[淀川資料館]]</ref>、これらの結果として経済発展が見られた。
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== 地域 ==
{{右|
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[[ファイル:Sakura MtHiei.jpg|thumb|200px|京都から望む比叡山]]
[[ファイル:Night view of Osaka bay.jpg|thumb|200px|[[六甲山地]]・[[掬星台]]からの景色]]
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}}
=== 地理 ===
大きな都市圏を形成している京阪神ではあるが、かなり起伏の富んだ地形が広がっている。主に[[大阪平野]]を中心に、[[播磨平野]]・[[京都盆地]]・[[奈良盆地]]・[[近江盆地]]に広がっている。この点で、起伏の少ない関東平野を中心として放射状に広がっている東京圏と比べると、[[生駒山地]]や[[六甲山地]]などの山地を挟んで都市が広がっている京阪神と大きく異なっている。
[[ファイル:Sakura MtHiei.jpg|thumb|200px|京都から望む比叡山]]
;地形
:*'''[[平野]]・[[盆地]]'''…大阪平野、播磨平野、京都盆地、奈良盆地、[[亀岡盆地]]、近江盆地、[[山科盆地]]、[[上野盆地]]
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=== 郊外化 ===
[[ファイル:Night view of Osaka bay.jpg|thumb|200px|[[六甲山地]]・[[掬星台]]からの景色]]
京阪神では、[[アメリカ合衆国]]の例に倣った[[インターアーバン]](都市間電車)路線の建設が盛んとなった。[[阪神本線|阪神電気鉄道本線]]([[1905年]]開業)を嚆矢とし、続く[[箕面有馬電気軌道]](後の[[阪急宝塚本線]]、[[1910年]]開業)、[[阪急神戸本線|阪神急行電鉄神戸本線]]([[1920年]]開業)ほかの各線の開通は、神戸・[[北摂]]の未開拓な後背地であった近郊農村地帯への着目のきっかけとなり、快適な住環境創造を目的とする郊外住宅地の開発が、鉄道沿線である風光明媚な[[六甲山]]南斜面、いわゆる阪神間において進められた([[阪神間モダニズム]])。また、1934年の[[京阪神緩行線]]の開業によって、郊外の宅地化がさらに進んでいった。
 
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== 経済・学術 ==
{{右|
[[ファイル:National Library Kansai.jpg|thumb|200px|関西文化学術研究都市<br />・[[国立国会図書館関西館]]]]
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[[ファイル:SPring-8 2007 12img pano.jpg|thumb|200px|播磨科学公園都市・[[SPring-8]]]]
[[ファイル:National Library Kansai.jpg|thumb|200px|関西文化学術研究都市<br />・[[国立国会図書館関西館]]]]
[[ファイル:SPring-8 2007 12img pano.jpg|thumb|200px|播磨科学公園都市・[[SPring-8]]]]
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}}
 
=== 経済 ===
{{main|近畿地方#経済|阪神工業地帯}}
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* [[神戸研究学園都市]](兵庫県)
* [[国際文化公園都市]](大阪府)
{{-}}
 
== 交通 ==