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'''ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル'''(Bernard le Bovier de Fontenelle、[[1657年]][[2月11日]] - [[1757年]][[1月9日]])は、[[フランス]]の著述家である。多宇宙論の啓蒙書、『[[世界の複数性についての対話|世界の多数性についての対話]]』が当時のヨーロッパ諸言語に訳され、知識階級に影響を与えた。[[アカデミー・フランセーズ]]の会員。
 
[[ルーアン]]に生まれた。父は[[法服貴族]]で、ルーアン[[高等法院 (フランス)|高等法院]]付弁護士。母の2人の兄は有名な劇作家[[ピエール・コルネイユ]]と[[トマ・コルネイユ]]であった。[[イエズス会]]のコレージュで学んだ後、父の職業を継いで弁護士になるが、裁判で1回弁護したのみで辞めてしまい、後世を[[ルネ・デカルト|デカルト]]主義的な立場にたつ[[哲学者]]・[[科学者]]として過ごした。