「崇福寺 (福岡市)」の版間の差分

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*[[1895年]](明治28年)、渡辺玄外が住職となって境内が再整備される。
*[[1945年]]([[昭和]]20年)[[6月19日]]、豪商・[[神屋宗湛]]ゆかりの茶室で国宝であった「[[湛浩庵]]」がアメリカ軍の空襲で焼失する。
*[[1950年]]([[昭和]]25年)戦後荒廃していた福岡藩黒田家墓所を整備、改葬。当初の五分の一の規模に縮小され、新たに土を盛り墓所を築造。土台に墓碑のみを整備した。当初は歴代藩主の埋葬地には御霊屋石塔、灯篭他、堂塔があったが戦争空襲ほぼ全て消失灰燼に帰ている
*[[1963年]]([[昭和]]38年)元国宝の[[湛浩庵]]が宗湛庵として復元される。
*[[2005年]]([[平成]]17年)[[5月9日]]、寺の修行僧によって放火され、隠寮や書院など3棟700平方メートルが全焼した。
*[[2014年]]([[平成]]26年)境内にある歴代[[福岡藩]]主、[[黒田氏]]の墓所が黒田家より[[福岡市]]に寄贈され、移管された。山門前の参道が拡幅整備
 
== 文化財 ==