「ルー・テーズ」の版間の差分

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|誕生日 = [[1916年]][[4月24日]]
|死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1916|4|24|2002|4|28}}
|出身地 = {{USA }}<br/>{{Flagicon|Michigan}} [[ミシガン州]]バナット
|所属 = [[NWA (プロレス)|NWA]]
|スポーツ歴 =
|トレーナー = ジョージ・トラゴス<br/>[[エド・ルイス]]<br/>アド・サンテル<br/>ウォーレン・ボックウィンクル
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[[1963年]]1月24日、トロントで[[バディ・ロジャース]]を破りNWA世界ヘビー級王座に返り咲く。これが最後の戴冠となり、[[1966年]]1月7日に[[ジン・キニスキー]]に敗れるまで保持した。
 
1966年2月28日、日本プロレスに特別参加し、[[ジャイアント馬場]]の持つインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。結果は馬場が2度目の防衛に成功。テーズから2ピンフォール取っての防衛は馬場の大きな勲章となった。同年10月14日、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]にて[[バディ・オースチン]]からWWA世界ヘビー級王座を奪取したが、同月28日に[[マーク・ルーイン]]に敗れ短命王者となっている<ref name="wwa-h">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/us/ca/s/wwa/wwa-h.html|title=WWA World Heavyweight Title|accessdate=2015-01-23|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>
 
[[1967年]]6月、初代[[IWA世界ヘビー級王座|TWWA世界ヘビー級王者]]に認定され、翌[[1968年]]1月に[[国際プロレス]](当時はTBSプロレス)に参戦。[[グレート草津]]の挑戦を受けるが、1本目で実力を見破り、バックドロップで草津を失神させる。2本目は棄権、テーズが防衛に成功。草津をスターに仕立てようとする[[TBSテレビ|TBS]]の目論みは失敗に終わった。
 
[[1973年]]10月14日、[[新日本プロレス]]に初登場、[[カール・ゴッチ]]と組んで[[アントニオ猪木]]&[[坂口征二]]と「世界最強タッグ戦」を行う。このときテーズは57歳、ゴッチは49歳であったが、当時の両者の名声から、この年齢にかかわらず「世界最強タッグ」の看板に説得力を持たせることができた。
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* AWA世界ヘビー級王座(オハイオ版):1回
 
; [[ワールド・レスリング・アソシエーション (ロサンゼルス)|ワールド・レスリング・アソシエーション(ロサンゼルス)]]
* WWA世界ヘビー級王座:1回