「大錦一徹」の版間の差分

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現在は、[[年寄]]・[[山科 (相撲)|山科]]である。
 
== 来歴・人物 ==
中学在学時に実家近くの味噌工場の社長から勧誘され、「好きなだけ食べられる」という口説き文句が決め手となって出羽海部屋に入門。[[1968年]]5月場所にて、14歳で[[初土俵]]を踏んだ。
 
入門から丸5年経った[[1973年]]5月場所に於いて、19歳で[[十両]]に昇進した。同場所では11勝4敗と大きく勝ち越し、十両優勝を遂げている。
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十両2場所目の同年7月場所より、本名の「尾堀」から同部屋の大先輩でもある横綱・[[大錦卯一郎|大錦]]と同じ四股名に改名したことから、如何に期待されていたかが窺える。
 
鋭い出足で左四つになると力を発揮し、新入幕の場所から優勝争いに加わり、[[横綱]]・[[琴櫻傑將|琴櫻]]や[[大関]]・[[貴ノ花利彰|貴ノ花]]を破るなど大活躍。新入幕力士が横綱戦で勝利したのは、[[1941年]]5月場所にて[[双見山又五郎|双見山]](西11枚目)が[[男女ノ川登三|男女ノ川]]を破って以来、32年4ヵ月ぶりの快挙であった<ref>最高位が関脇以下の力士に限れば、20歳0月での初金星は最年少記録である。また、新入幕力士の対横綱戦勝利は、それから41年後の[[2014年]]9月場所で[[逸ノ城駿|逸ノ城]]が[[鶴竜力三郎|鶴竜]]を破るまで出なかった。</ref>。千穐楽には新入幕としては極めて異例の[[これより三役|三役揃い踏み]]にも参加<ref>本割は、[[大関]]・[[清國勝雄|清國]]に対し敗北。</ref>、11勝4敗という好成績を残し、史上初の新入幕力士[[三賞]]独占受賞を果たした。三賞独占は前場所での[[大受久晃|大受]]に続いて、2場所連続の事例となった。
 
翌11月場所では自己最高位となる東小結に昇進したが、壁にぶつかり、星が伸びなかった(結局三役経験は、これが最初で最後)。この当時、[[北の湖敏満|北の湖]]・[[若乃花幹士 (2代)|若三杉]]・[[麒麟児和春|麒麟児]]・[[金城興福|金城]]と、同じ昭和28(1953)年生まれ(麒麟児、金城は早生まれのため学年は違う)の幕内力士が揃ったので、彼ら4人とともに'''「[[花のニッパチ組]]」'''と呼ばれた。