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大統領交代
馬屋橋 (会話 | 投稿記録)
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[[ファイル:RomaniaBorderHistoryAnnimation 1859-2010.gif|thumb|left|250px|ルーマニア国土の変遷([[1859年]]-[[2010年]])。濃い緑がその時代の領土、薄い緑がルーマニアが領有したことのある地域。]]
[[1861年]]、オスマン帝国宗主下の自治国としてワラキアモルダヴィアの連同し、公国が成立。[[1877年]]には[[露土戦争]]に乗じて完全な独立を果たすため、独立宣言を行った。[[1878年]][[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]で国際的に承認され、[[ルーマニア王国]]が成立。第一次世界大戦でトランシルヴァニアを併合した。同じ1918年ベッサラビアを回復したが、これは[[1940年]]再び[[ソビエト連邦]]に占領され、最終的に割譲することとなる(現在は[[モルドバ|モルドバ共和国]]、ウクライナ)。
 
[[1940年]][[第二次世界大戦]]が始まると、ソ連はベッサラビアなど、ルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王[[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]]を批判し、退位させた。ルーマニアは[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]につき[[枢軸国]]側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかしドイツ敗退により、再度ソ連に侵攻され、[[1944年]]8月の政変で独裁体制を敷いていた[[イオン・アントネスク]]元帥ら親ドイツ派を逮捕して[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側につき、王国内の[[ドイツ軍]]を壊滅させた後にチェコスロバキアまで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。