「Fw 200 (航空機)」の版間の差分

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After reinforcing the structure of the aircraft and it was designated as Fw 200C-3, it could carry a maximum payload of 5400 kg http://oi60.tinypic.com/qoxge8.jpg http://it.scribd.com/doc/36487226/Fw-200C-3
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== 旅客機としての開発 ==
[[ファイル:Focke-Wulf Fw 200 Dania.jpg|thumb|250 px250px|デンマーク航空のFW 200 コンドル]]
アメリカのダグラス[[DC-3]]の成功により旅客機の市場が脅かされていたドイツでは、新たな長距離旅客機の開発を迫られていた。そのような中で[[ルフトハンザ航空]]向けに[[クルト・タンク]]の設計で製造されたのがFw200であった。
 
720hpのBMW132Gエンジンを4基搭載した大型機で、25人の乗客を乗せて3,000Km以上飛ぶことができた。試作機は[[1937年]][[7月]]に初飛行し優秀な性能を示した。
 
この機体は、[[1938年]][[8月10日]]にベルリンからニューヨークへ24時間56分で無着陸飛行を行ない、13日には19時間47分でベルリンに戻ってくるという快挙を成し遂げた。同年の[[11月28日]]には、無着陸ではないが[[ベルリン]]から[[東京]]への飛行も行っている。Fw200は[[ルフトハンザ航空]]で使われた他、[[スウェーデン]]と[[ブラジル]]へも輸出された。試作3号機は、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]の専用機となった。
 
また、ルフトハンザは[[満州航空]]との協力の元、ドイツと[[満州国]]を無着陸で結ぶ航路を計画したものの、[[日中戦争]]の勃発を受け実現されなかった。なお[[日本]]の[[大日本帝国陸軍]]は[[九二式重爆撃機]]の後継機として[[ユンカース]][[Ju 90 (航空機)|Ju90四発旅客機]]の購入を検討、ユンカース社に[[三菱重工業]]の本社営業課長を派遣して交渉したが、交渉は1938年9月に断念された<ref name="巨人機列伝222">[[#巨人機列伝]]222頁</ref>。するとドイツ滞在中の三菱スタッフはFw200に興味を持ち、交渉の結果Fw200の訪日飛行が実現する<ref name="巨人機列伝222"/>。その後、5機注文を行ったが、日本陸軍の興味は軍用型(Fw200C)に移り、購入計画はキャンセルされた。
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== 軍用機への転用 ==
[[ファイル:Focke Wulf Fw200.jpg|thumb|250px|ドイツ空軍仕様のFw 200 Condor]]
[[1939年]]の第二次世界大戦の勃発時に長距離[[偵察機]]が不足していたドイツ空軍は、本機を長距離哨戒爆撃機として使用することにした。最初に導入されたC-1型は民間型の胴体下面に大型のゴンドラを設け、そこに250kg爆弾5発を搭載した他、ゴンドラの前後に機銃を装備した。また両翼の外側エンジンナセルの外側に懸架装置を取付けて爆弾または増槽を懸架することが可能だった。なお、初期の運用は空軍パイロットではなくルフトハンザの徴用操縦士が行なっている。
 
Fw200は[[1939年]][[11月]]から実戦に投入され、北海の[[イギリス]]艦隊攻撃に使用された。その後[[1940年]]に[[フランス]]が降伏した後はフランス[[大西洋]]岸に進出して、イギリスに向けて航行する商船を狙いイギリス近海に出没、35万トンを越える商船を沈めた。また長い航続力を生かして、フランスからイギリスを迂回して[[ノルウェー]]までの哨戒飛行も実施している(船団を発見すると[[Uボート]]を呼び寄せる)。このため「大西洋の疫病神(Scourge of the Atlantic)」と恐れられた。
 
しかし生産が遅々として進まず[[1941年]][[]]までに部隊配備されたのはわずか30機弱で(実際に飛行できる稼働数はもっと少ない)、艦隊に壊滅的な打撃を加えるには機体数が少な過ぎた。この頃には輸送船団が[[CAMシップ]]や[[護衛空母]]の[[戦闘機]]で守られはじめ、本機の対戦闘機防御は貧弱だったため被害が続出するようになった。また元々が民間輸送機であったために、機体構造が戦闘時の厳しい操縦に耐え切れず機体が破壊されて墜落したり、着陸時に胴体が折れてしまうといった事故も多発した。機体を補強し防御武装や爆弾搭載量を強化したC-3型が1941年夏に投入されたが、イギリス船団の防御も強化されたため効果があがらず、本機は活動の場を[[北海]]や[[地中海]]に変更することになった。
 
その後、[[Hs 293 (ミサイル)|Hs293誘導ミサイル]]の母機として利用されることはあったものの[[1943年]]には哨戒爆撃任務から外され輸送任務に従事するようになった。輸送機としてのFw200は、1943年の[[スターリングラード攻防]]で輸送任務に参加している。また、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]やドイツ軍の高官専用機として利用された機体もあった。Fw200は[[1944年]]に生産が終了するが、生産されたのは276機であった。
 
==バリエーション==
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** 30人の完全武装した[[降下猟兵]]を輸送することもできた。
 
== 脚注出典 ==
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