「Fw 200 (航空機)」の版間の差分
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After reinforcing the structure of the aircraft and it was designated as Fw 200C-3, it could carry a maximum payload of 5400 kg http://oi60.tinypic.com/qoxge8.jpg http://it.scribd.com/doc/36487226/Fw-200C-3 |
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== 旅客機としての開発 ==
[[ファイル:Focke-Wulf Fw 200 Dania.jpg|thumb|
アメリカのダグラス[[DC-3]]の成功により旅客機の市場が脅かされていたドイツでは、新たな長距離旅客機の開発を迫られていた。そのような中で[[ルフトハンザ航空]]向けに[[クルト・タンク]]の設計で製造されたのがFw200であった。
720hpのBMW132Gエンジンを4基搭載した大型機で、25人の乗客を乗せて3,000Km以上飛ぶことができた。試作機は
この機体は
また、ルフトハンザは[[満州航空]]との協力の元、ドイツと[[満州国]]を無着陸で結ぶ航路を計画したものの、[[日中戦争]]の勃発を受け実現されなかった。なお[[日本]]の[[大日本帝国陸軍]]は[[九二式重爆撃機]]の後継機として[[ユンカース]][[Ju 90 (航空機)|Ju90四発旅客機]]の購入を検討、ユンカース社に[[三菱重工業]]の本社営業課長を派遣して交渉したが、交渉は1938年9月に断念された<ref name="巨人機列伝222">[[#巨人機列伝]]222頁</ref>。するとドイツ滞在中の三菱スタッフはFw200に興味を持ち、交渉の結果Fw200の訪日飛行が実現する<ref name="巨人機列伝222"/>。その後、5機注文を行ったが、日本陸軍の興味は軍用型(Fw200C)に移り、購入計画はキャンセルされた。
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== 軍用機への転用 ==
[[ファイル:Focke Wulf Fw200.jpg|thumb|250px|ドイツ空軍仕様のFw 200 Condor]]
Fw200は
しかし生産が遅々として進まず
その後、[[Hs 293 (ミサイル)|Hs293誘導ミサイル]]の母機として利用されることはあったものの
==バリエーション==
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** 30人の完全武装した[[降下猟兵]]を輸送することもできた。
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