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m rv 情報を削らない、エジプトについては後ろの節で言及されている
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{{出典の明記|section=1|date=2011年5月}}
{{seealso|:en:History of cosmetics}}
古代ではエジプトを中心に文化が広められていった。
{{要出典範囲|口や耳などの穴から悪魔などが進入するのを防ぐために、赤色の物体を顔面に塗りつけるという、約7万年前に行われていた習慣が始まりだと推測されている。このことは出土した当時の人骨の口に付着していた赤色の顔料の痕跡から判明した。|date=2014年11月}}
 
[[File:Nofretete_Neues_Museum.jpg|thumb|right|160px|古代エジプトの[[ネフェルティティの胸像]]。アイラインをひいている。]]
紀元前1200年代頃の[[エジプト]]では、人々が目や唇に化粧をしている絵画も見つかっている。[[ツタンカーメン]]の黄金のマスクを例にとると、目の周囲にアイラインをしていることが見てとれる。当時のアイラインの原料は、紺色の鉱石である[[ラピスラズリ]]であり、それを微細な粉にして液体に溶かして使用していた。これには病気を媒介する[[蚊]]や[[蝿]]を近づけない[[虫除け]]の意味もあった。また、黄色の[[顔料]]を肌に塗って[[日焼け止め]]にしたり、[[香油]]で乾燥した皮膚をやわらかくするなど、砂漠地帯ならではの化粧も行われていた。これらの化粧は時代が下るにつれて[[神官]]などの特権階級の[[シンボル]]となっていった。現在でも[[中近東]]地域ではこのようなアイラインを日常に行っている。特権階級となった王族や神官たちは『白い肌は肉体労働をしていない証拠』と[[鉛白]]を使って肌を白く塗り始めた。この風習は[[鉛]]の有毒性を知られてもなお続き、18世紀まで続いたとされている
 
[[File:Greek_statue_discus_thrower_2_century_aC.jpg|thumb|right|160px|古代ギリシアでは、日ごろの鍛錬(トレーニング)こそが本当の[[美|美しさ]]を生む、として、化粧のようにうわべだけのものは評価されなかった]]
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=== 近代ヨーロッパ ===
18世紀は再び自然志向が強まり、薄い化粧が流行した。19世紀には上流階級の女性の間で病弱に見えるで痩せた体が持てはやされ、食事を抜き夜更かしをした上で静脈を強調する青い化粧や、[[黄疸]]に見せかける黄色い化粧が流行した時期が有った。また、科学者や医薬品メーカーが化粧品開発に関わるようになり、化粧が安価に出来るようになった。但し、[[フランス革命]]などの一連の[[市民革命]]の結果特権階級が衰退したのに伴い男性の化粧の風習は廃れ、[[第二次世界大戦]]後にはほぼ完全に姿を消した。1899年には人体に無毒な[[酸化亜鉛]]を使った白粉が開発された。
 
 
=== 日本 ===