「御霊神社 (大阪市)」の版間の差分

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== 由緒 ==
* 古来、瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祭り圓神祠(つぶらしんし)と称していた。
* [[文禄]]3年([[1594年]])、境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀、 圓江(つぶらえ=現在の[[靱]])から[[因幡国|因幡]][[鹿野藩]]主の[[亀井茲矩]]が自邸敷地内であった現在地に遷座。([[亀井茲矩]]はこの後、因幡高草の[[白兎神社]]を再興した。)
*[[寛文]]年中、御霊神社と改称。
*[[明治]]6年([[1873年]])、[[近代社格制度|郷社]]に列する。
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* [[大正]]15年([[1926年]])11月に御霊文楽座から出火、本殿とともに焼失した。
* [[昭和]]5年([[1930年]])に社殿再建。
* 昭和20年([[1945年]])3月14日、[[大阪大空襲]](第1次)により、再び全て焼失した。
* 昭和32年([[1957年]])、現在の社殿を再興。
* 昭和34年([[1959年]])、鳥居玉垣を再建。その後、年を追って往時に勝る威容を整備しつつある。