「樽前山」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Apple2000 (会話 | 投稿記録)
噴火史、防災
9行目:
|種類 = 常時観測火山
|初登頂 = [[火砕丘]]、[[溶岩ドーム]] ([[活火山]]ランクA)
|地図 = {{Embedmap|141.3767|42.6906|300}}<small>樽前山の位置</small>{{日本の位置情報|42|41|26|141|22|36|樽前山}}
}}
[[画像image:Mt.tarumaezan樽前山火口原.JPG|thumb|300px250px|白老町から冬三重式火山樽前火口原 西を望むより]]
 
'''樽前山'''(たるまえさん、たるまえざん)は、[[北海道]]南西部にある[[支笏湖]]の南側、[[苫小牧市]]と[[千歳市]]にまたがる[[活火山]]。[[標高]]は最高点の樽前ドームで1,041m、[[三角点|一等三角点]](点名「樽前岳」)の東山で1,022m、[[三角点|三等三角点]](点名「樽前山」)の西山で994m。[[支笏洞爺国立公園]]に属する。[[風不死岳]]、[[恵庭岳]]とともに支笏三山の一つに数えられる。
18行目:
山名の由来は、[[アイヌ語]]で「タオロマイ taor-oma-i」(川岸の高いところ・〈そこに〉ある・もの)。一般的にアイヌは山に山そのものを指す名前を付けず「これこれという川の上流(水源)の山」という名づけ方をすることが多いので、この言葉は現在の樽前山そのものを指すのではなく、樽前山の南側を下る現在の樽前川を指した言葉である可能性が高く、その水源として樽前山という名になったと思われる。樽前山そのものを指したアイヌ語の名称としては「ヲフイノボリ」が[[1807年]](文化4年)の[[秦檍丸]]による東蝦夷地屏風にあり<ref>渡辺 (2002)</ref>、増補千歳市史 (1983) ではこれをオフィヌプリ ohuy-nupuri(燃える・山)と解釈している(ウフィヌプリ uhuy-nupuri の方が同じ意味で一般的な表現)。「たるまいさん」、「たるまいざん」とも言う。
 
== 樽前火山活動 ==
活動開始時期は約9000年前とされ、これまでの活動は約1000年以上の休止期を挟んで3つの活動期に区分される。
[[ファイル:Tarumae1909.jpg|thumb|left|1909年の噴火]]
* 第1期:約9000年前に始まり、2回の[[プリニー式噴火]]により大量の火砕物噴出と小規模な火砕流。
 
* 第2期:約6500年の休止期の後、約2500年前から3回のプリニー式噴火が短い休止間隔で発生し、火砕物や火砕流、火砕サージを噴出。
この火山は4万年前に大爆発を起こした支笏[[カルデラ]]の南縁部に約9000年前に形成された後カルデラ火山である。後述する[[溶岩ドーム]]を持った、世界的に珍しい'''三重式火山'''である。有史以前にも数度大爆発を起こし、道央では[[鍵層]]となる[[軽石]][[噴火]]を起こしている。[[江戸時代]]から[[明治時代]]には活発に活動しており[[1667年]]([[寛文]]7年)、[[1739年]]([[元文]]4年)、[[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年)、[[1874年]]([[明治]]7年)、[[1909年]](明治42年)に噴火を起こし軽石を周囲に降らせている。このため苫小牧市など周辺は至るところに軽石の散らばった火山灰の地層に覆われている。俗に70年周期説も唱えられたが、近年では[[1981年]]([[昭和]]56年)に小噴火が見られた程度で、現在は日常的に白い噴煙を上げ続けているのみである。北麓には同じ後カルデラ火山の[[風不死岳]]がある。
* 第3期:江戸時代から現在までの有史時代の活動である。
 
[[ファイル:樽前山火口原.JPG|thumb|300px|三重式火山の火口原 西山より]]
 
=== 樽前ドーム ===
[[ファイルimage:樽前ドーム.JPG|thumb|300pxleft|200px|樽前ドーム(熔岩円頂丘) ]]
[[1909年]](明治42年)の噴火で、山頂には溶岩ドームができ形成された。'''樽前山熔岩円頂丘'''として、[[北海道指定文化財一覧|北海道指定文化財]]の[[天然記念物]]に指定されている。この溶岩ドームは比較的大きい上に、山体とは異なった色(黒色)をしているために目立ち、樽前山を特徴づけている。樽前山は南から東にかけて高山と隣接していないので、これらの方向からは遠くから見てもこの山が樽前山であることを容易に判別できる。つまりこの溶岩ドームが樽前山を[[ランドマーク]]としやすい山にしているのである。
{{-}}
 
=== 有史以降の活動 ===
[[ファイル:樽前ドーム.JPG|thumb|300px|樽前ドーム(熔岩円頂丘) ]]
[[ファイルimage:Tarumae1909.jpg|thumb|left250px|1909年の噴火]]
* 1667年(寛文7年) 9月23日 大規模なマグマ噴火。総噴出物量2.8km{{sup|3}}、マグマ噴出量1.1DREkm{{sup|3}}。[[火山爆発指数]]:VEI5</br>降下火砕物(Ta-b)を東方に広く堆積させた。苫小牧北方で約2m、十勝平野でも数cmに達した。山麓に影響を与えた2回の火砕流により河道閉塞を生じ、[[錦多峰川]]上流の口無沼、[[樽前川]]下流の森田沼など形成した可能性が高い。
* 1739年(元文4年) 18 - 30日に大規模なマグマ噴火。総噴出物量4km{{sup|3}}、マグマ噴出量1.6DREkm{{sup|3}}。火山爆発指数:VEI5</br>8月16日に前兆となる地震があった後の噴火で、降下火砕物は千歳空港付近で約1m。山麓に影響を与えた4回の火砕流は、最大10kmの範囲に分布し、[[支笏湖]]に流入。 火砕堆積物は9層からなる。活動の末期に噴出量が多かった。山頂部に直径1.2*1.5kmの外輪山を形成。
* 1804 - 1817年(文化年間) 中規模なマグマ噴火。総噴出物量0.05km{{sup|3}}、マグマ噴出量0.02DREkm{{sup|3}}。火山爆発指数:VEI3</br>死傷者多数とする文献もあり。
* 1867年(慶応3年) マグマ噴火。
* 1874年(明治7年) 2月8 - 10日 中規模なマグマ噴火。総噴出物量0.025km{{sup|3}}、マグマ噴出量0.01DREkm{{sup|3}}。火山爆発指数:VEI3</br>山頂から噴火。北西側、北東側及び南側に火砕流が流下、降灰は主に南方で、苫小牧市錦岡付近で層厚約45cm。
* 1883年(明治16年) 水蒸気噴火。
** 10月7日、山頂から小噴火し、噴火口の周囲決壊。
** 10月18日 山頂から小噴火し、苫小牧駅付近で少量の降灰。
** 11月5日 山頂から小噴火し、降灰降石あり。中央火口南麓に長さ50m高さ20mの小丘を形成。札幌にも降灰。
* 1885(明治18)年
** 1月4日、8日、10日 小規模な水蒸気噴火。
** 3月26日 山頂から噴火。噴煙の規模は1月の噴火よりやや小さかった。
* 1886年(明治19年)
** 4月13日、15日、16日、28日 水蒸気噴火。周辺各地で降灰。
* 1887年(明治20年) 水蒸気噴火。
** 9月3日 噴煙の高さ約3600m。
** 10月7日 山頂から噴火(約10分間継続)。噴煙の高さは約2700m。8日にも山頂から噴火。
* 1894年(明治27年) 水蒸気噴火。2月8日、8月17日。
* 1909年(明治42年)1月 - 5月 中規模なマグマ噴火。総噴出物量0.02km{{sup|3}}、マグマ噴出量0.02DREkm{{sup|3}}。(ドーム)</br>約3ヶ月間小規模な噴火と鳴動が断続。2回の爆発的噴火の後、溶岩ドームを形成。
* 1917年(大正6年) 水蒸気噴火。
** 4月30日 噴煙の高さ約780m。苫小牧で降灰。
** 5月12日 噴煙の高さ約5000m。 鳴動30分以上。山麓、支笏湖畔、早来で降灰。
* 1918年(大正7年)、1919年(大正8年)、1920年(大正9年)、1921年(大正10年) 水蒸気噴火。
* 1923年(大正12年) 水蒸気噴火。
** 2月21日、6月17日、6月29日、7月13日 噴火。
** 8月12日 噴石で2名負傷。
* 1926年(大正15年) 10月19 - 30日 水蒸気噴火。
** 19日 山麓一帯に有感地震も。
** 26日 噴煙高度約1000m。
** 30日 噴煙高度約2000m、爆発音は札幌まで聞こえ、オホーツク海沿岸まで降灰。
* 1928年(昭和3年) 水蒸気噴火。
** 1月4日、1月7日、9月6日、10月25日
* 1929年(昭和4年) 2月10日 噴煙。
* 1931年(昭和6年) 10月11日、10月24日 噴煙。
* 1933年(昭和8年) 12月1日 水蒸気噴火、噴煙高度1000m。
* 1936年(昭和11年)、1944年(昭和19年)、1947年(昭和22年)、1951年(昭和26年)、1953年(昭和28年)、1954(昭和29)年、1955(昭和30)
* 1974 - 1975年 (昭和49 - 50年) 12月 - 2月 火山性地震多発。
* 1978年(昭和53年) 2月火山性地震多発。
* 1978年(昭和53年) 5月 水蒸気噴火。220℃以上の粉体流が火口から約100m流下。総噴出物量40000m{{sup|3}}。火山爆発指数:VEI1
* 1979年(昭和54年)、1981年(昭和56年) 水蒸気噴火。
* 1983年(昭和58年) 以降、観測態勢が充実し小規模な噴気や地熱活動、地殻変動の記録も残るようになる。
* 2003年(平成15年)、2011年(平成23年)、2012年(平成24年) [[火影]](火口が明るく見える現象)を観測。
 
=== 噴火の影響 ===
40 ⟶ 84行目:
 
== 登山 ==
[[image:Mt.tarumaezan.JPG|thumb|200px|白老町から冬の樽前山を望む]]
登山ルートは多岐にわたるが、一般的なのは[[国道276号]]から[[北海道道141号樽前錦岡線]]、林道を通り樽前山7合目登山口の駐車場から登るルートである。子供でも1時間程度で外輪山にたどり着けるため、地元小学校の定番の遠足地になっている。かつては支笏湖側から、'''苔の洞門'''と呼ばれる苔の密生した岩肌の間を通る登山道が存在したが、苔の保護及び崩落の恐れにより封鎖。その後、旧登山道の一部は苔の洞門の観察を目的とした遊歩道、観覧台になっている(2014年9月の集中豪雨により苔の洞門の一部と遊歩道が崩落。当面の間、閉鎖されることとなった<ref>[http://www.welcome-to-chitose.jp/category/detail.php?item=8 千歳市の観光-苔の洞門(千歳市ホームページ)2014年11月6日閲覧]</ref>)。
 
== 噴火防災 ==
なお、[[2001年]]([[平成]]13年)には、火山活動がやや活発になり立ち入り禁止区域が設定された。現在<ref>[[2007年]](平成19年)6月</ref>も外輪山の内側へは立ち入りが禁止されている。
苫小牧市は樽前山火山防災会議協議会<ref>[http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/kurashi/bosai/jishin/bosaijoho/kazan/kaigikyogikai.html 樽前山火山防災会議協議会] 苫小牧市</ref>を設立すると共に、山頂噴火による降灰、火砕流、関連した土石流などを想定したハザードマップを作成し防災計画を策定している<ref>[http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/kurashi/bosai/jishin/bosaijoho/kazan/yosoku-hazardmap.html 火山災害の予測とハザードマップ] 苫小牧市</ref>。
<!--ガイドブック的な解説はWikipediaの方針に反する→ 登山に当たっては火山情報などを確認し、立ち入り禁止のエリアには注意されたい。-->
 
== 脚注出典 ==
** [http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/109_Tarumae/109_index.html 火山の観測資料:樽前山] * [[気象庁]]
* [http://www.jma.go.jp/jma/kishou/books/kenshin/vol30p083.pdf 樽前山噴火史] 苫小牧測候所 験震時報第30巻(昭和41年10月) pp.83-90
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
* 渡辺隆「蝦夷地山名辞書 稿-松浦武四郎文献を中心に」『北の山の夜明け』、高澤光雄、日本山書の会、2002年。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
57 ⟶ 107行目:
 
== 外部リンク ==
* [http://www.mr.hkd.mlit.go.jp/mrken_works/chisui/tarumae/sub02_23.files/sabo/01_1hjm.html 樽前山渓流環境整備計画(案)] 北海道開発局
* [[気象庁]]
** [http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/sapporo/109_Tarumae/109_index.html 火山の観測資料:樽前山]
** [http://www.data.jma.go.jp/svd/volcam/data/volc_img.php 火山監視カメラ:樽前山]
* [[国土地理院]]
** [http://mapps.gsi.go.jp/contentsImage.do?specificationId=121414&dispType=1 航空写真:樽前山] - 地図・空中写真閲覧サービス