「ジュゼッペ・シノーポリ」の版間の差分

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[[1981年]]、[[バイエルン国立歌劇場]]で初演された歌劇「ルー・ザロメ」(''Lou Salomé'')などの作品によって現代音楽の作曲家としても名をなしていた。
 
以上のような経歴(死の直前には[[考古学]]の[[学位|博士号]]も取得)からインテリ指揮者としての側面がクローズアップされ、衒学的で音楽解釈に精神医学的観点の援用を示唆する言動や彼の異色の音楽解釈は、熱烈な崇拝と批判を同時に呼び起こした。[[グスタフ・マーラー|マーラー]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]、[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]ら、独伊の後期ロマン派の管弦楽曲及びオペラでの解釈が、特に知られていた。<!-- レコーディングも自腹で、 --><!--「自腹」という記述は、以前に要出典範囲とされ、出典が付かなかったため除去されています。記述を復活させたいのであれば出典を提示すること。-->[[ドイツ・グラモフォン]]、[[フィリップス・レコード|フィリップス]]、テルデックなど、クラシックの一流レーベルから数多くのCDを発売していた、スター指揮者であった。ドイツ語をほぼ母国語同様に操り、「ルー・ザロメ」などのドイツ語オペラを残したほか、来日時のNHKインタビューにもドイツ語で応じた。
 
[[1987年]]、[[フィルハーモニア管弦楽団]]と共に来日した折に、桐朋学園オーケストラで非公開授業を行い(ヴェルディ:「運命の力」序曲)、この録音は、当時発売されたシノーポリの「運命の力」全曲盤に初回プレス限定で添付され、この授業は、現在でも[[桐朋学園大学]]で「伝説」として語り継がれている。シノーポリが日本のオーケストラを指揮したのは、後にも先にも、この時だけである。