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もっとも早く砲塔を搭載した軍艦のひとつは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[装甲艦]]「[[モニター (装甲艦)|モニター]]」であり、全周回転式の[[装甲]]ドラム1基に[[マズルローダー|先込め式]]の[[ダールグレン砲]]2門を搭載していた。また、当時使われた別の方式として固定式ドラム([[バーベット]])を用い、その中で砲座だけが回転するものもあり、'''露砲塔'''と呼ばれる。この場合はバーベットの縁の上に砲身が突き出すことになる。後の設計では、砲およびバーベットに屋根のように装甲板を被せた「フード付きバーベット」が開発された。
 
1895年に就航した[[マジェスティック級戦艦]]、1897年に就航した[[富士型戦艦]]は密閉砲塔をもつ近代的な[[戦艦]]として登場した。
 
[[1908年]]に登場したアメリカの[[サウスカロライナ級戦艦]]では、中心線装備砲の射界を広げるために、前後とも2基の砲塔の高さに差をつける背負式配置が採用された。これは船体構造を強化しようと全主砲塔を艦の中心線へ移動させたために必要となった措置である。この新配置は、同時代の[[イギリス]]の[[戦艦]]「[[ドレッドノート (戦艦)|ドレッドノート]]」とは好対照である。ドレッドノートには多くの革命的な点があったものの、依然2基の舷側砲塔を持っていた(つまり全砲塔が中心線上にあったのではない)。「[[サウスカロライナ (戦艦)|サウスカロライナ]]」が進水するまで、背負式配置の価値が実証されたことはなく、当初は前の[[バージニア級戦艦]]で採用された[[主砲]]と副砲を積み重ねる2階建て砲塔の弱点が繰り返されるのではないかと危惧されていた。