「八咫鏡」の版間の差分

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これまで現在の存在する桶代(御神体の入れ物)の大きさから考えてもっと小さいモノであるはずであり、この事から「八咫(やた)」は単に「大きい」という事を表しているだけで具体的な数値ではない、という説があった。
 
しかし[[平原遺跡]]からは[[国宝]]に指定されている八咫のサイズをもつ直径46cmの[[内行花文八葉鏡]]が5出土していることから、弥生時代後期から晩期にこのサイズの鏡が存在したことは確かとなった<ref>[[平原遺跡]]から[[内行花文八葉鏡]]5面、個の内行花文鏡 2面、方格規矩鏡 32面、四螭文鏡 1面、メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900、耳璫 3破片、 素環頭大刀 1、銅鏡片 2などの大量の出土品の全てが[[国宝]]に指定されている。[[内行花文八葉鏡]]の4は[[伊都国歴史博物館で、また1が[[九州国立博物館]]で常時展示されており実物を見ることができる。</ref>。
いずれにせよ、その特大の大きさから、後に三種の神器の一つである鏡を指す固有名詞になったと考えられている。</br>八咫鏡は[[伊勢神宮|神宮]]にある御神体と、その御神体を象って作ったという[[皇居]]にある八咫鏡([[天皇]]の儀式に用いるためのレプリカ)の2つがある。この皇居の鏡は「賢所の八咫鏡」で「賢所」とも呼ばれる。