「マグナ・カルタ」の版間の差分

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== 成立 ==
マグナ・カルタは[[ラニーミード]]において[[1215年]][[6月15日]]に制定。[[ジョン王]]のマグナ・カルタは教皇[[イノケンティウス3世]]の勅令により無効とされたが、その後[[1225年]]に作られた[[ヘンリー3世]]のマグナ・カルタの一部が[[現行法]]として残っており、現在でも[[イギリス]]において[[イギリスの憲法|憲法]]を構成する法典の一つである。
 
写しが大量に書かれたため<ref>[http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPKBN0L70DM20150203 マグナ・カルタ写本4点を初の同時展示、発布800周年で] - [[ロイター]](2015年 02月 3日 15:22 JST版 2015年2月3日閲覧)</ref>、各地に残っているが、[[イングランド]]内に現存するオリジナルの文書は4通である
 
== 経緯 ==
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特に重要な項目は、
* 教会は国王から[[自由]]であると述べた第1条
* 王の決定だけでは[[戦争]]協力金などの名目で[[税金]]を集めることができないと定めた第12条
* [[ロンドン]]ほかの[[自由市]]は[[交易]]の自由を持ち、[[関税]]を自ら決められるとした第13条
* 国王が[[議会]]を召集しなければならない場合を定めた第14条
* [[自由]]なイングランドの[[民]]は国法か[[裁判]]によらなければ自由や[[生命]]、[[財産]]をおかされないとした第38条
などである。
 
イギリスの現行法令集[[:w:Halsbury's Statutes]]に載っている条文は、1225年のヘンリー3世の時代に作られた新しいマグナ・カルタを、[[1297年]]にエドワード1世が確認したものである。前文と4か条が廃止されずに残っている。
 
* 前文 国王エドワードによるマグナ・カルタの確認
* 第1条 教会の自由
* 第9条(1215年の原マグナ・カルタの13条に相当) ロンドン市等の都市・港の自由
* 第29条(原39条および40条) 国法によらなければ逮捕・拘禁されたり、財産を奪われない([[デュー・プロセス]]、適正手続)
* 第37条(1225年のマグナ・カルタの37条および38条に相当) 盾金、自由と慣習の確認、聖職者および貴族の署名
 
== 影響 ==
国王と議会が対立するようになった[[17世紀]]になり再度注目されるようになった。マグナ・カルタの理念は、[[エドワード・コーク]]卿ほか英国の[[裁判官]]たちによって[[憲法]][[原理]]「[[法の支配]]」としてまとめられた。[[清教徒革命]]の際には、[[革命]]の理由としてマグナ・カルタが使われた。また、[[アメリカ合衆国]]建国の理由にもマグナ・カルタが使われている。[[2009年]]には[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の『[[世界の記憶]]』に登録された。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==