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==歴史==
宗主国[[イギリス]]がインドを去る[[1947年]]、かつての植民地は[[宗教]]を基に[[インド]]と[[パキスタン]]に分けられた。[[イスラム教]]を基に成立したパキスタンは、西パキスタンと東パキスタン(現[[バングラデシュ]])という、地理的にも言語的にも大きく離れた二つの地域から構成されることとなった。人口は東パキスタンが多かったものの、政治の中枢は西パキスタンにあった。東パキスタン(現バングラデシュ)の人々は
イスラム教徒の言語による団結を掲げた[[ジンナー]]はじめ[[パキスタン]]政府は、ウルドゥー語を全パキスタンの唯一の[[国語]]として
Rafiq, Jabbar, ShafiurそしてSalam、その他、勇気ある学生たちが犠牲となった。 彼らの倒れた[[ダッカ]]大学構内の地に、[[ショヒド・ミナール]](言語に殉じた若者 たちの碑)が建てられた。碑は、悲しみの母と倒れた息子たちを表している。 母語を死守しようして倒れた息子たちを思い、母は頭(こうべ)を垂れる。後ろ の赤い円は、死んでいった若者たちの血である。 人が命に代えて言語を守ったのは、歴史で初めてのことだった。▼
▲Rafiq, Jabbar, ShafiurそしてSalam、その他、勇気ある学生たちが犠牲となった。
それから 半世紀後の1999年、ユネスコは、2月21日を[[国際母語デー]](International Mother Language day)に制定した。世界のあらゆる[[言語]]を守るために。
なお[[ショヒド・ミナール]]のレプリカは世界各地に建てられている。日本にも、[[池袋駅]]近くの公園に存在する。
==日本と国際母語デー==
国連による国際母語デーとしての制定をうけ、日本でもこの日([[2月21日]])を記念する動きが広がっている。先述の通り池袋駅西口の公園には、その母語の日の恒久的記念碑である殉難者顕彰碑ショヒド・ミナールが建設され、毎年2月21日には母語を見つめ直すイベントが開催されている。
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