「大阪スタヂアム」の版間の差分

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[[File:Osaka-Stadium naiya.jpg|thumb|大阪球場の一塁側内野スタンド、傾斜が急になっている(1990年)]]
* 前述の通り「すり鉢球場」と呼ばれたその形状から野次がよく通る球場としても知られていた。大阪の歓楽街であるミナミのど真ん中にあったことから飲酒してから観戦に来る客が多かったこと[[吉本興業]][[松竹]]等の[[寄席]]の本場という土地柄もあり、愉快な野次が飛び交う「野次の聖地」であった。
* 南海ファンと他球団のファンとの野次合戦を楽しみに球場に足を運ぶファンも多かったが、特に阪急や近鉄といった関西勢とのやり取りは一種の伝統芸能の域であった。南海ファンに比して少数であることが多かった阪急や近鉄の各応援団が野次合戦において[[数の論理]]で劣勢に立った際に発する「おい貧乏人(南海ファン)、悔しかったら阪急沿線に(関西では高級住宅地のイメージが強い)住んでみぃ!」、「南海電車はボロ電車、[[近畿日本鉄道|近鉄電車]]は2階建て([[ビスタカー]])!」といった野球とは全く関係のない逆切れフレーズはファンの笑いを誘ったものである。
* 現在はどの球場でも勝利チームのファンが行っている二次会(試合後に余韻を楽しみながら球場内外で行う応援集会)が最初に定着したのも本球場であると言われている。試合中、内外野それぞれの席で声援を送っていた南海ファンがチームの勝利後に球場隣接の駐車場に一堂に集い「試合後の宴」を繰り広げるのが常であった。