「ジョージ・アームストロング・カスター」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
48行目:
===南北戦争===
[[image:Custer5.jpg|200px|left|thumb|カスター「大尉」(1862年)]]
在学中に[[南北戦争]]が勃発、卒業を一年繰り上げて騎兵少尉に任官<ref>Eicher, p. 196.</ref>、[[第一次ブルランの戦い]]ブルランの戦いでは第2騎兵隊の士官として初陣を飾った。第5騎兵隊に移って幾つかの戦いを経験した後、騎兵中尉として1862年に[[ジョージ・マクレラン]]少将率いる[[ポトマック軍]]に参加、[[半島方面作戦]]で南軍の[[軍旗]]を戦場で奪い取る功績を挙げている。マクレランはカスターの勇敢さを称賛して、彼を一時的に名誉大佐の権限を与えて自らの副官に指名、カスターが歴史の表舞台に立つ切っ掛けとなった<ref>Tagg, p.184.</ref>。1862年11月にマクレラン将軍が[[エイブラハム・リンカーン]]との対立で陸軍最高司令官とポトマック軍司令官を解任され失脚すると、カスターも中尉に戻って前線勤務に復帰した。
 
カスターはポトマック軍の騎兵旅団長を務めていた[[アルフレッド・プレソントン]]中佐の配下に入った。カスターはプレソントン中佐に多大な影響を受け、プレソントンもカスターを評価して重用した。カスターは後に「世の中のどんな父親もプレソントンが私に注いだ愛情以上の事は出来ないだろう」と感謝の言葉を残している。[[チャンセラーズヴィルの戦い]]を経てプレソントンが少将に昇進すると、部隊は[[ゲティスバーグ方面作戦]]で南軍を補足する役割を与えられた。カスターはプレソントンの騎兵旅団の中でも最も勇敢な士官として評判を集め、取り分け[[ブランディ・ステーションの戦い]]では大胆不敵な戦い振りを示した。プレソントンが政治的駆け引きのために政治家の息子を准将に引き立てると、軍の批判を避けるために有力な士官を一時的に昇格させる必要があった。かくしてカスターは別の同僚と共に正規軍中尉から義勇軍([[州軍]])准将へ昇格し、より大きな部隊を任されるチャンスを得た<ref>Eicher, p. 196</ref>。