「別所重宗」の版間の差分

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[[永禄]]11年([[1568年]])、[[織田信長]]に擁されて上洛した[[足利義昭]]の下へ別所一門を率いて馳せ参じるなど、信長との協調路線を採っていた頃の別所氏では、その外交を担当していた。しかしその間、信長と[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]を快く思っていなかった吉親とは折り合いが悪かった。そして総領の長治が信長に反逆([[三木合戦]])すると、これに反対して自ら浪人となった。
 
天正13年([[1585年]])、秀吉によって[[但馬国]]内に15000石を与えられる。その後は秀吉の家臣として[[九州征伐]]や[[小田原征伐]]に従軍した。そしてのち[[堺市|堺]]に隠居したという。
 
[[福島正則]]の姉を娶り、その子・[[福島正之|正之]]は正則の養嗣子(後に廃嫡)となっている。
 
次子の別所主水宗治は旗本として徳川氏に仕え、大坂の陣の[[天王寺・岡山の戦い]]で討ち死にしている。跡を信治が継いだ。
 
 
 
== 関連項目 ==