「久世光彦」の版間の差分

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[[1987年]]に出版された処女作『昭和幻燈館』を皮切りに、作家活動を本格的に開始。小説・評論・エッセイなど幅広く執筆活動を行った。50歳を過ぎてのスタートにもかかわらずその活躍はめざましく、独自の耽美的な作風を確立して多くの文学賞を受賞。他にドラマ制作現場で文字通りの「戦友」だった[[向田邦子]]を巡るエッセイが人気を博した。
 
[[2006年]][[3月2日]]、虚血性[[心不全]]のため都内の自宅で死去。{{没年齢|1935|4|19|2006|3|2}}。生前はどんな病気でも入院することを嫌っていた。軽い[[糖尿病]]を患っていたほか、数年前には副交感神経関係の手術を受け、脳梗塞からの回復の途上でもあったが、死の直前まで仕事を抱えており、多くの関係者を驚かせた急死だった。[[2006年]][[3月6日]]自宅にて[[通夜]]、翌[[3月7日]]、[[東京都]][[文京区]][[護国寺]]桂昌殿にて[[告別式]]が営まれた。[[弔辞]]は、[[小林亜星]]と作家の[[伊集院静]]の二人が読んだ。
 
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== エピソード ==
*代表作『[[寺内貫太郎一家]]』、『[[時間ですよ]]』はいずれも脚本家[[向田邦子]]とのコンビ作品。[[2004年]][[1月2日]]に放送されたドラマ『テレビ50年ドラマ特別企画 向田邦子の恋文』(原作:[[向田和子]]、TBS)でも演出を担当。自身のエッセイ同様、[[1981年]]、[[台湾]]での飛行機事故で客死した向田への想いが込められた作品となった<ref>{{Cite web|url=http://megalodon.jp/2013-1113-1055-50/www.tbs.co.jp/program/kuni-koi.html|title=(cache)TBS(cache) TBS「テレビ50年ドラマ特別企画 向田邦子の恋文」|publisher=[[TBSテレビ|TBS]]([[ウェブ魚拓]]によるキャッシュ)|accessdate=2013-11-13}}</ref>。
*[[ヘビースモーカー]]で知られ、「[[ピース (たばこ)#ラインナップ|缶ピース]]」を愛煙した。
*新人[[タレント]]への厳しい演技指導で知られ、数多くの人気タレントを育てた。葬儀の際に[[浅田美代子]]は「親にも叩かれた事がないのに久世さんには何度も叩かれた」と明かしている。
*[[読売ジャイアンツ]]ファンだった。
*『[[ムー一族]]』…[[郷ひろみ]]と[[樹木希林]]のデュエットによる番組挿入歌「[[林檎殺人事件]]」がヒットした。樹木が本作の打ち上げパーティーのスピーチで、久世と「近松屋のともこ」役の女優のぐちともこが不倫関係にあり、既にのぐちがこの時、妊娠8か月であった事を暴露したことから、一大スキャンダルに発展(発覚当時、久世の妻は「認知などさせない」と強硬な姿勢だったが、後に正式離婚し、のぐちと再婚)<ref>{{Cite web|url=http://megalodon.jp/2013-1113-1115-35/book.asahi.com/author/TKY201102020197.html|title=(cache)(cache) 「テコちゃんの時間  久世光彦との日々」  久世朋子さん 著者に会いたい - BOOK|publisher=[[朝日新聞社|asahi.com]](ウェブ魚拓によるキャッシュ)|date=2011-01-30|accessdate=2013-11-13}}</ref>。久世と樹木は[[1996年]]放送のドラマ「[[坊っちゃん#テレビドラマ|坊ちゃんちゃん]]」まで絶縁状態となった。ただ久世とのぐちの関係は当時関係者や出演者の間で「公然の秘密」とされており周知の間柄だったが、樹木には周囲の共演者らと険悪な関係になりながらも「久世さんがああした状況の中でなし崩しにショボショボしていくのが耐えられなかった」、「2人の気持ちを軽くしてやろうと思った」との真意があった。また、こうした場での暴露を非難する声に対しても「ああいう見せかけの優しさが久世さんをダメにした」と反論している<ref name="日刊ゲンダイ"/>。
*『寺内貫太郎一家2』…開始間もなく過激な喧嘩シーンを収録していて[[西城秀樹]]が骨折、休養。最終回(30回目)は、向田が乳がんの手術のために「原案・向田邦子」「脚本・林紫乃」(久世のペンネームで紫乃というのは久世の長女の名前をもじったもの)となった。この時のことを久世は「雁の別れ」(『触れもせで - 向田邦子との二十年間』[[講談社文庫]])に書いている。
*喜劇的要素が強い作風のテレビドラマが多いことで知られるが、この要素を取り入れるため自ら志願して当時所属していたTBSの大人気バラエティ番組『[[8時だョ!全員集合]]』のコント演出を数回行っている。これをきっかけとして、同番組のプロデューサーだった[[居作昌果]]、出演していた[[ザ・ドリフターズ]]のリーダー・[[いかりや長介]]を「師匠」として尊敬するようになった。
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*[[沢田研二]]主演、[[coba]]音楽による音楽劇の演出にも参加、5作品を担当しているが、その5作目で、[[川上弘美]]原作、テレビドラマの舞台化作品『センセイの鞄』([[2005年]]、共演[[坂井真紀]])が最後の演出作品となった。沢田への思い入れは並々ならないものがあり、「沢田研二の存在があるからこそ現在の仕事を続けている」と語るほどだった。[[TBSテレビ|TBS]]時代には、沢田とエレベーターに2人で乗ると、緊張して乗っている時間が長く感じたとも語っている。
*[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で2006年夏に放送(11月18日に延期)する[[リリー・フランキー]]原作『[[東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜_(テレビドラマ)|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜]]』の特別ドラマを演出する予定だった。
*自身の制作会社[[カノックス]](KANOX) (KANOX)は、久世演出のドラマの他、『[[料理バンザイ!]]』を製作していたが、同番組がスポンサーの雪印グループの相次ぐ不祥事から2002年3月限りで打ち切りとなったこともあり売り上げが大幅に減少し、2004年3月に民事再生法の適用を申請した。
*重度の[[飛行機恐怖症]]で、海外に出かけたのは2、3回しかなかったという<ref>『テコちゃんの時間  久世光彦との日々』P44</ref>。
 
== 演出作品 ==
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*[[顎十郎捕物帖]](1968年)演出
*[[時間ですよ]](第1期/1970年)演出
*時間ですよ(第2期/1971年)演出
*[[おはよう (テレビドラマ)|おはよう]](1972年)演出
*時間ですよ(第3期/1973年)演出・プロデューサー
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*寺内貫太郎一家2(1975年)演出・プロデューサー
*[[悪魔のようなあいつ]](1975年)演出・プロデューサー
*[[さくらの唄 (テレビドラマ)|さくらの唄]](1976年)演出・プロデューサー
*[[ムー (テレビドラマ)|ムー]](1977年) 演出・プロデューサー
*[[せい子宙太郎|せい子宙太郎-忍宿借夫婦巷談]](1977年) 演出・プロデューサー
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*[[世にも奇妙な物語]]「視線の町」(1991年/フジテレビ)演出
*世にも奇妙な物語「海亀のスープ」(1991年/フジテレビ)演出
*[[なんだらまんだら]](1991年/フジテレビ)ゼネラルプロデューサー
*[[女正月]](1992年/TBS)演出
*[[怪談 KWAIDAN]](1992年/フジテレビ)監督
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===映画===
*ワニと鸚鵡とおっとせい (1977年/松竹)原案
*夢一族  ザ・らいばる(1979年/松竹)監督
*自由な女神たち(1987年/松竹)監督
 
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*寺内貫太郎一家(1999年) 演出
*ご存じ 浅草パラダイス(2000年) 演出
*さらば 浅草パラダイス(2001年) 演出
*音楽劇 いつかヴァスコ・ダ・ガマのように(2001年) 作・演出
*冬の運動会(2001年) 演出
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*「早く昔になればいい」(1994年/[[中央公論新社]]刊)
*「[[二・二六事件|陛下]]」(1996年/[[新潮社]]刊)
*「聖なる春」(1996年/新潮社刊)  ※図版:[[グスタフ・クリムト]]
*「卑弥呼」(1997年/[[読売新聞社]]刊)
*「[[太宰治|謎の母]]」(1998年/[[朝日新聞社]]刊)
*「逃げ水半次無用帖」(1998年/[[文藝春秋]]刊)(2002年/文春文庫)
*「桃」(2000年/新潮社刊)(2005年/中公文庫)
*「燃える頬」(2000年[[文藝春秋]]刊)
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*「蝶とヒットラー」(1993年/[[日本文芸社]]刊)
*「ひと恋しくて - 余白の多い住所録」(1994年/[[中央公論社]]刊)
*「雨季の女たち」(1995年/[[ワニブックス]]刊/撮影:遠藤晴穂)
*「悪い夢 - 私の好きな作家たち」(1995年/[[角川春樹事務所]]刊)
*「ニホンゴキトク」(1996年/[[講談社]]刊)
*「黄昏かげろう座」(1998年/角川春樹事務所刊)
*「泰西からの手紙」(1998年/文藝春秋刊)
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*「花筺―帝都の詩人たち」(2001年/[[都市出版]]刊)
*「美の死 - ぼくの感傷的読書」(2001年/[[筑摩書房]]刊)
*「家の匂い町の音 - むかし卓袱台があったころ」(2001年/[[主婦の友社]]刊)(「むかし卓袱台があったころ」改題  2006年/ちくま文庫)
*「私があなたに惚れたのは」(2002年/主婦の友社刊)
*「昭和恋々Part II」(2003年/[[清流出版]]刊)
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=== 共著 ===
*「浅草ロック座昭和末年」[[池内紀]]、久世光彦  他(1995年/[[美術出版社]]刊)
*「螢子 - 昭和抒情歌50選」[[上村一夫]]、久世光彦 (1996年/[[中央公論新社]]刊)
*「昭和恋々 - あのころ、こんな暮らしがあった」[[山本夏彦]]、久世光彦 (1998年/[[清流出版]]刊)(2002年/文春文庫)
*「寺山修司・斎藤慎爾の世界 - 永遠のアドレッセンス」宗田安正、九條今日子、久世光彦 (1998年/[[柏書房]]刊)
*「銀座24の物語」[[椎名誠]]、[[橋本治]]、[[平岩弓枝]]、久世光彦  他 (2001年/[[文藝春秋]]刊)
*「この人生の並木道」[[阿久悠]]、[[浅井慎平]]、久世光彦 (2002年/[[恒文社]]刊)
*「中原中也のこころ(ことばの花束)」[[山折哲雄 ]]、[[柳田邦男]]、久世光彦 他  (2004年/[[佼成出版社]]刊)
*「話したい、話せない、『話す』の壁」[[金田一秀穂]]、[[永六輔]]、[[天野祐吉]]、久世光彦  他 (2006年/[[ゆまに書房]]刊)
*「久世塾」[[竹山洋]]、[[青柳祐美子]]、[[糸井重里]]、[[小林亜星]]、久世光彦  他 (2007年/[[平凡社]]刊)
'''大遺言書 シリーズ'''
*「大遺言書」[[森繁久彌]]、久世光彦 (2003年/[[新潮社]]刊)
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* 1998年「逃げ水半次無用帖」で第120回直木賞候補
* 2001年「蕭々館日録」で[[泉鏡花文学賞]]
* 2003年「センセイの鞄」で[[芸術祭 (文化庁)|文化庁芸術祭]]優秀賞作品、[[日本民間放送連盟賞]]番組部門テレビドラマ最優秀賞、第40回[[ギャラクシー賞]]選奨
* 1998年[[紫綬褒章]]を受章
他 多数。
 
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** [[ひとりっ子甘えっ子]](1973年)
** [[わたしの宵待草]](1973年)
*[[西田佐知子]]
** 矢車日記(1973年、アルバム『[[美徳のよろめき (西田佐知子のアルバム)|美徳のよろめき]]』収録、後に[[北原ミレイ]]が「矢車の花」(1980年)として、[[小林幸子]]が「矢車日記」(1984年)としてカヴァー。)
* [[梓みちよ]]
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==註==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* [[川本三郎]]・齋藤愼爾 責任編集『久世光彦の世界 {{Smaller|昭和の幻景}}』([[柏書房]]、2007年) ISBN 9784760130849978-4-7601-3084-9
* 加藤義彦『「時間ですよ」を作った男 {{Smaller|久世光彦のドラマ世界}}』([[双葉社]]、2007年) ISBN 9784575299540978-4-575-29954-0
* 久世光彦、糸井重里、小林亜星ほか『久世塾』([[平凡社]]、2007年) ISBN 9784582833485978-4-582-83348-5
* [[小林竜雄 (脚本家)|小林竜雄]]『久世光彦 {{Smaller|VS.}}向田邦子』([[朝日新書]]、2009年) ISBN 9784022732606978-4-02-273260-6
* 久世朋子『テコちゃんの時間  久世光彦との日々』([[平凡社]]、2010年) ISBN 9874582834963978-4-582-83496-3
 
== 外部リンク ==