「松倉勝家」の版間の差分

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== 生涯 ==
父・重政と共に[[島原城]]とその城下町の新築、[[参勤交代]]の費用、計画のみで頓挫した[[ルソン島|ルソン]]遠征の準備など種々の口実を設け、また独自に[[検地]]を実施して実質4万石程度の石高を10万石と過大に見積もり、領民に10万石相当の過重な年貢・労役を課した。これには豪勢な[[島原城]]を建設改築(城を全面白色に塗色するなど)し、他藩に自己の存在をアピールしようという意図があった([[外様大名]]故のコンプレックスがあったと[[小和田哲男]]が指摘している)<ref>[[謎解き!江戸のススメ]]([[BS-TBS]])、[[2015年]][[2月16日]]放送より。</ref>。さらに、領内に多かった[[キリシタン]]への弾圧も残忍を極めた。
 
寛永7年([[1630年]])に父・重政が急逝した後を受けて藩主となってからは、父をも凌ぐ過酷な収奪を行って領民を苦しめた。寛永11年([[1634年]])は悪天候と[[旱魃]]から凶作となったが、勝家は容赦せず重税を取立てた。米や農作物の徴収だけでなく、人頭税や住宅税などありとあらゆる税を新設して厳格に取り立てたことが多くの記録に残る(『[[鍋島勝茂]]公譜』、[[カピタン|オランダ商館長]][[ニコラス・クーケバッケル]]の日記など)。