「鳳来寺」の版間の差分
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[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、近郊の[[菅沼氏]]から寺領の寄進を受けた。だが、[[豊臣秀吉]]の治世では300石のみを許されただけで、他は悉く没収された。
[[江戸時代]]に入ると幕府の庇護を受け、850石に増領される。さらに家光の治世で大いに栄え
なお、[[徳川家綱|家綱]]将軍の治世になっても諸僧坊の増築は続いており、[[延宝]]年間([[1673年]]~[[1681年|81年]])に存在した僧坊は以下の通り。
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[[東海道]][[御油宿]]から延びる街道は'''鳳来寺道'''と呼ばれるなど、[[秋葉山本宮秋葉神社]]と並んで、この地方では数多くの参詣者を集めた。
[[東海道名所図会]]には、煙厳山鳳来寺勝岳院(神祖宮
=== 近代 ===
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* [[鳳来寺本源氏物語]]
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[[Category:愛知県の寺]]
[[Category:新城市の歴史]]
[[Category:三河国|寺ほうらいし]]
[[Category:真言系仏教]]
[[Category:修験道]]
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